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僕の考えるフィジカルトレーニングとは

僕が学生スポーツ選手に向けて提示するトレーニングメニューは、多くの選手が嫌がる。

監督さんの希望やキャプテンの希望を聴きながら、僕が試合や練習でのチーム全体の取り組みを見て感じたことも盛り込みながら作成します。

ちなみに僕も学生の頃、トレーニングの時間は嫌で嫌で仕方ありませんでした。
でも、その苦しく辛かった時間が、僕を大きく成長させてくれたと感じているから、選手達にも厳しく関わります。


辛いこと、苦しいことは財産

辛いことや苦しいことは、弱い自分と向き合わなきゃいけません。
弱い自分と素直に向き合うということは、素の自分と向き合うということだと思うんです。
素の自分を理解しってる人ほど、自分の気持ちをコントロールすることが上手いのではないのではないでしょうか?
でも人間って、弱い自分と向き合うことから避けようしてしまうものです。自尊心が邪魔をして、弱い自分に蓋をして、感じなかったように、受け入れないようにしていることが多いものだと思うんです。

自律できてる人は人の気持ちもわかる

自分の気持ちをコントロールできるということを自律と言うんだと思います。

自律できてる人は、自分と向き合いまくります。
だから、自分のことをよく理解しています。
強い自分も弱い自分も。
そして、自分のいろんな気持ちの感覚を知ってるから、周囲の人の気持ちもわかるんだと思います。
それを逆手に取れば、どうすれば嫌われるかもわかっているはずです。
スポーツの対戦相手や、同業者と競う上でもこの感覚は大切だと思っています。

他者評価よりも、自分と向き合う

他者の評価は曖昧です。でも自分のことは誤魔化せません。いや、誤魔化せますが、自分に嘘をつきながら生きていくのか、正直に生きていくのか。
誤魔化し、嘘をついて生きていけば、常に心に重荷を背負いながら生きることになると思うんです。
正直に生きている方が、絶対に身軽です。
だから、僕はできるだけ真っ直ぐ目の前のことを受け止めるようにしています。人間だから曲がってしまうこともある。紆余曲折はあるものですが、間違ってるなと感じたら、僕の正しさのスタンスに軌道修正をかけます。
他者評価や、他人に誉められること。他人との約束を叶えるよりも、自分に嘘をつかない、自分に真っ直ぐな取り組む道筋が、大切だと思っています。


弱い自分をオープンにすること

ある仕事先のトレーニング室の入り口に、僕の紹介文を掲示してもらっています。
その文章は、なぜトレーナーになり、どんな気持ちで関わることを大切にしてるかということを、正直に僕が考えたものお願いして掲示してもらってます。

ある時、その文章を読んだお客さんから「あれだけ自分のことを書けるってすごいね。ほとんど自分の弱いところじゃん。」と言われました。

弱いところを書くことなんて、僕にとってはそこまで難しいことではないので、「そうなんだぁ。」くらいにしか思ってませんでした。
でも最近感じます。これが強みなのかもと。
弱い自分を口にできること、公言できることは、簡単にできることではない。
多分多くの人が、弱い自分の気持ちを素直に出せず、強く見せたり、横柄な態度をとったり、わがままを言ったり、直接の気持ちをみせないようにするのでしょう。

僕も弱い自分の感覚をすべて言葉にできているとは思っていません。ほんの表層しか書いてませんし、話してもいませんから、素直になれない気持ちはよくわかります。

でも、できることなら「僕は弱っちです」と白旗降った方が、人は寄ってきますし、その自分をよくわかってる自分は、その自分に負けない努力もしようと思えるはずです。


学生に向けての僕の作成するトレーニングは厳しいものです。
でも、自分の弱さを知ることで、自分をさらによく知り、他者への思いやりや、人が人として心通わせ生きていく術を身に付けることができると信じています。

辛いこと苦しいことを乗り越えた選手達には、必ずご褒美がある。
もしそのご褒美を味わえなかったら、それは僕の責任です。
その覚悟をもって、関わっています。

みんなの拳を握って歓喜に湧くその時をイメージしながら。
もちろん学生に限らず。人生の勝利を一人一人が手にして欲しい。それが僕の願いです。

僕の活動に関心を持っていただきご支援いただける方はよろしくお願いします。一人でも多くの人が心が弾むような生活が送れるように悩み事をひとつひとつ丁寧に対応していきたいと思います。がんばります!!