雨の日は会えない、晴れた日は君を想う/ジャン=マルク・ヴァレ

妻の死をきっかけに、妻を愛していないことを悟った男。でも、直後から変な行動をし始める。いろんなものを分解してゆく様子は、ジョジョ6部のアナスイを思い出す。でも分解というより破壊の方がしっくりくる。原題も「demolition =破壊」らしいし。他にも街中で踊りまくったり、自動販売機メーカーに妻の死について語る変な手紙送ったり、変な行動ばかりし始める。これってやっぱり妻の死で動揺したからとった行動なんだと思う。俺もおばあちゃんが死んだ時、始めは全然泣けなくて、なにも感じなかったけど、数時間後皿を洗っている時なぜか急に泣けてきたことがあった。こんな心の動きは初めてだった。大事な人が死んだ時ってこんなふうになるんだと思う。だからこの男の異常な行動も妻の死となんとか折り合いをつけようとして出てきたストレス反応みたいなものなんだろう。妻が浮気をしていたことを知った時、やっぱりちゃんと正常に怒っていたし。家族の死が悲しいのはモチロンなんだけど、どうしても解放感があるということは否定できない。肩の荷が降りるというか、もうその人の心配をすることがなくなるからかな?自分と関係が深い人ほど自分を縛っていると言えるんじゃないかな?そして妻という一番大きな存在を失えば、悲しみとか開放感とか思い出とかいろんなものがぐちゃぐちゃになるだろう。だからこの男の行動もなんか理解できるような気になる。
この映画に限らず、異常な行動を観ていると何故かスカッと爽やかな気分になるのは普段抑えている衝動を映画の登場人物が代わりにやってくれるからだろう。ジョジョ1部のディオに対してモブの友人達が言った「俺たちにできないことを平然とやってのける。そこにシビれる憧れる」というのはこういうことだ。荒木飛呂彦先生も映画好きで登場人物達の行動を観てそう思ったからこそこのセリフを思いついたんだと思う。
この映画はハリウッド映画のフォーマットを基準にすると、どこに進むかわからない妙な映画って印象だけど、人生もそんなもんだ。こういう映画をおもしろいと感じるようになってきたのは俺も年取って人生経験積んできたからかな?
ラストシーン、子供達に混じって無邪気に走り出す主人公。あれは開放感の表れなのか?よくわからなかった。
主演のジェイクギレンホールは結構好き。仮面のような無表情。イケメンなんだけど異常性を感じさせる造形。目と口がでかい。能のように観ている側が感情を想像して投影するよう促される顔。

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