「再現性のない若年期での成功体験」がもたらす負の影響
「再現性のない若年期での成功体験」がもたらす負の影響について今日はお話しします。
成功体験そのものは人に自信をもたらしてくれるので良いものだと思います。ただ、人生の早い時期に、偶然手に入れてしまった成功はその限りではありません。
例えば「20代でなんらかの形で成功した」人がいるとします。最高の気分でしょう。その高揚感の中で「成功は難しくない」という認識が生まれることがあります。
しかし、成功は複雑な要因に支えられています。自分自身の状態、社会の流れ、その時の勢い、それらが組み合わさり成功しています。
人間は因果に囚われる生き物です。何かが起きたなら何か原因があるはずだと考える。成功したのならその原因があるはずだと考えます。そして、自分なりに発見したそれを成功の要因だと決定します。しかし、先ほど申し上げた通り成功を取り巻く環境は複雑ですから、それほど簡単に成功の要因は見つけられません。
ここでの「成功の秘訣」は誤学習とも言えます。環境が変わっても通用する強い秘訣ではありませんから、再現性がありません。もしかするとただの迷信だった可能性もあります。成功した時にたまたま身につけていたシャツを「成功のシャツ」と信じるかのように。
ある程度、うまくいかなかった経験がある人であれば、そう簡単に「成功の秘訣」には飛びつきません。要するに「成功」と相対化できるだけの「たくさんの失敗」があればよいわけです。ところが若い時にはそれほど多くの失敗がありません。
100回に一回当たるくじを一発目から引いただけかもしれませんが、本人にとっては一発一中ですから、これから先100回当たりを引ける感覚に陥いります。
「その後の人生で修正すればいいではないか」と思いますが、早い段階で成功し評価を得ると、自分の考えは正しいという感覚が残ります。結果というのはそれほど強烈です。結果が説得力をもたらしてしまい、修正しにくくなります。外からのフィードバックも入りにくい。
ここからの脱却は「あの成功は偶然であった」と自ら認めることだと思います。ただ、これを受け入れるのがなかなか大変です。言葉上はわかったようになれますが、心の底からあの成功を忘れるには時間がかかります。
やろうと思えば、再現できる範囲。そこまでが自分の実力です。それを再び積み上げるために、一旦現状の自分に自己認識を合わせる必要があるのだと思います。
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