見出し画像

二つの人工知能

素人の全く勝手な空想なのでお許しください。AIが起こす社会変化の未来は自我の捉え方によって違うように思います。

①私が認識するから世界は存在する

②世界は認識に関わらず存在し私は全体の一部である

かです。西洋のインディビジュアルな個人は前者を想定し、東洋の全体の中における個人は後者を想定します。

脳に電極を差し込み、認知の仕方に影響を与えたり、または脳から指令を出し世界をコントロールするというのは①の考え方です。すべての人間が強い主観を持ち、その主観こそがリアリティの源泉だから、その主観を強化すれば個人が強化され、その主観をハックすれば個人をハックできるということです。

一方②は言ってみれば「胡蝶の夢」の世界です。そもそも自分の主観が怪しげで自我自体がはっきりしていない。私が胡蝶の夢を見たのか、胡蝶が私の夢を見ているのか、です。①から見れば自我がなくすでに現実感が揺らいでいる状態です。②のAIは全体最適の方向に向かうのではないかと思います。個人は全体の一部であるから全体さえ変われば、個人の捉え方もまた変わるだろうと考えます。

あなたとは何かという問いに対し、過去の自分の意思決定を振り返って自分を説明しようとするのが①で、周りを見渡して比較し自分の特徴を説明しようとするのが②です。①は環境に依存しない一貫した私があると想定し、②は私は環境によって変化する柔らかい存在だと想定します。ですから①の社会は情状酌量の余地が小さい傾向にあります。幼少期劣悪な環境で育った子供が大人になって犯罪を犯した時、その罪を軽減する傾向にあるのが②の社会です。①は環境に影響を受けない一貫した個人を想定しますから軽減する傾向にはありません。個人が環境によって決まるなら、当然罪と責任も環境と共有します。

タオイズムは「母なる道」という概念を大事にします。それは本来あるべき大きな流れに何事も終着するのだからなにもかも手放して委ねてしまえという考え方です。タオイズムとAIは相性がいいと思っています。データを繋ぎ込み母なる道(全体最適)を導き出すことができるのではないかと思うからです。

ただ、その母なる道とは何かと定義するためには価値観が大事になります。社会正義、哲学、宗教の出番です。価値観を定め、母なる道に身を委ねる。委ねれば委ねるほど効率良くはなるが、一方で個人の主観などは気にされなくなる。

その時に、自我などはさほど問題ないと考えるのか、それとも自我こそが重要だと考えるかで、私たちとAIの関係は決まっていくのではないかと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?