ルールを作る側、守らせる側の違いは何か
長文ファンの皆様おはようございます。
ルールメイキングという言葉が最近教育界では多く聞かれます。元々は厳しい校則が嫌だと生徒たちが、自ら校則を変える取り組みから始まったと聞いています。
伺った話で大変興味深いものがありました。ツーブロック(髪型の一種)が禁止されている学校でそれはなぜかと教員に聞いたところ「就職に不利だから」という回答が返ってきました。
生徒たちは本当にそうだろうかと疑問に思い地元の企業を回って聞いたところ、どこも気にしていないと回答を得ました。
それを先生にシェアしたところ先生たちも「そうだったのか」と驚き、ルールが変わりました。
興味深いのはなぜそのルールが必要なのかを守らせる側もよく理解していなかった点です。
ルールメイキングの難しさは、考えていけば最終的に哲学や宗教、倫理で議論せざるを得ない点です。
校則もいきつけば、ルソー的な人類の原初状態は牧歌的であると考えるか、ホッブスの自由な状態は万人による万人の闘争と考えるかを議論することになります。
スポーツの世界では、日本人ほどスポーツマンシップに則る国は珍しいと言われます。ドーピングも少なく、フェアプレーも多い。一方で、ルールメイキングの舞台にはほとんど参画しないと言われています。
ルールを作る側の思考と、ルールを守らせる側の思考は質が異なります。人生で一度もルールを作ったことがないと、ルールは守るもので作るものではないと考える様になりがちです。ルール作りはある意味ではゲーム作りです。社会においてはいつもゲームを作る側が、ゲームで遊ぶ側をコントロールします。
日本だけが民族的に苦手だということは考えにくく、どうもそうなるように教育といい社会文化といい、仕向けている様にも思えます。
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