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葛藤と自立

葛藤について最近考えています。葛藤を調べると「個人の欲求のもつれ」や「集団間での争い、諍い」という言葉が出てきます。心理学者のレビンは葛藤を

①接近-接近(欲しいと欲しい) 
ケーキも饅頭も食べたいが、片方しか食べられない
②回避-回避(嫌だと嫌だ) 
会社もやめたいが、不安定も嫌だ
③接近-回避(欲しいに嫌だが内包されている) 
ケーキが食べたいが太りたくない

の三つに分類しています。

フロイトは心の奥からの欲求を表面から押さえつける葛藤が神経症を生んでいると考えました。考えてみれば人生は葛藤だらけです。食べたいが太りたくない。あれもこれも欲しいが予算に限りがある。勉強したくないがしなければならない。ですから葛藤をうまく昇華できることが生きる上では大事な知恵です。

葛藤の処理をどうするかは人生観に大きく影響します。例えば自己啓発本も大きく分けて二つに分けられる傾向にあります。

「葛藤による抑制を外し自らの欲求を解放させる」
社会のためにまた目標のために欲求(自分)を抑え込む癖がついていてそれが自らを苦しめている。そこからの解放。あるがままの自分でいいという承認。

「葛藤に打ち勝ち自らの欲求を抑え込む」
人は怠惰であるから、流されやすく妥協しやすい自分をいかにコントロールし、目標つまりありたい姿に向かうかという方向。成長と努力。克服。

前者は葛藤が人生の前半にありそれがコンプレックスになりそこからの解放を目指す人が多く、後者は自分自身の欲求に流されるなど抑制する力が弱く自分を奮い立たせたい人が多いです。

人間が成長する上で葛藤と向き合うことは避けられません。周囲との軋轢、自分の内部での対立などです。興味深いことの自分の内部と社会は切れておらず地続きになっています。地球規模で見れば他殺が多い国では自殺が少なく、自殺が多い国では他殺が少ない傾向にあります。日本人は自己主張ができないと言いますが、世界的にみれば東アジア全体が自己主張が苦手だと思います。それは自分を出し葛藤を社会で処理していく西洋社会に対し、葛藤を個人内部に取り込み自分の中で処理していく東アジア社会との違いなのではないでしょうか。東アジア圏の高い自殺率ともそれが関係していると私は考えています。

人が成長していく上でトラブルに出くわしそれを自らで解決する経験は大切だと私は考えています。「優しさとはトラブルを避けてあげること」だと考える人と、「優しさとはトラブルを自ら処理できるようにしてあげること」と考える人では教育観が全く違います。トラブルとは典型的な葛藤体験だからです。葛藤に対しどう処理するかを学ぶことで自分の扱い方を学び、徐々に柔軟に生きていけるようになる。しかしトラブルを奪えばその経験ができません。

葛藤の処理には第三の点が必要だと思います。ケーキが食べたい、でも太りたくないという葛藤に対し、そもそもどう生きたいのかという第三の点を想定することで葛藤が和らぎ選択しやすくなります。葛藤の処理が上手い人は、葛藤と距離をとりひいた目で第三の点を見つけるのがうまいと考えています。

日本人の弱点は自立だと言いました。自立には葛藤が欠かせません。あれも欲しいがあれも欲しい。あれも嫌だがこれも嫌だ。そんな矛盾するものと向き合い、それをなんとかするプロセスで自立が促されるからです。葛藤体験をいかに人生に組み込むかが自立の鍵だと考えています。

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