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今の空気と戦時の空気は似てるのか

戦争に例えて最近の空気を説明されることがよくありますが、実際には戦時中はどんな空気だったのでしょうか。一般に言われるように、軍部主導で嫌がる国民を無理やり戦争に引きずっていき、戦争が苦しくなると軍部や政府が言論統制を行い言論を封殺したと言われますがそれは本当だったのでしょうか。

朝、目覚めると、戦争が始まっていましたという本があります。太平洋戦争が始まった翌日の知識人の文章をまとめたものです。意外なことに、多くの言論人が肯定的に捉えています。いくつかご紹介します。

「宣戦の詔書が渙発された。0時、明治製菓の二階で黙然として聞いていた。今日みたいに嬉しい日はまたとない。うれしいというか何というかとにかく胸の清々しい気持ちだ」黒田三郎(詩人)

「いよいよ来るべきものは来たのだ。みたわれとして一死報国の時がきたのだ。飽まで落ち着いて、この時を生き抜かん」青野季吉(文芸評論家)

「宣戦のみことのりの降ったをりの感激、せめてまう10年若くて、うけたまはらなかったことの、くちをしいほど、心おどりを覚えた」折口信夫(民俗学者)

ものすごく開放感がありました。パーッと天地が開けたほどの開放感でした」吉本隆明(思想家)

中には市民の様子を描いているものもありますが、ずっとどっちつかずで我慢をするしかなかった状況でついに決断してくれたという鬱々とした気持ちを晴らしたような表現が多くありました。もちろん戦争を憂う声も紹介されていましたが、当時の空気がどんよりとした軍部に引きずられて戦争に突っ込んでしまっていたものとは言い難いというのが私の印象です。むしろ国民の一定数はそれを望んでいたのではないでしょうか。

さて、戦争が始まり徐々に言論統制が行われていくわけですが、こちらも言論統制という興味深い本があります。『小ヒムラー」とも言われた鈴木庫三情報官の人生にフォーカスをし、どのように言論統制が行われていたのかを描いたものです。読んでみると鈴木情報官が軍部の力でメディアをねじ伏せたという印象が一変します。確かに細かなぶつかりはあるのですが、どちらかというと鈴木時代は出版業界にとっては好景気の時代でした。1940年代の戦時期も一般誌の売り上げ部数は前年比13.5%という空前の好景気でした。世の中の空気を作っていく上でメディアはとても有効なので、敵対していたというよりはむしろ協調関係にあった可能性があります。

本の中で戦後メディア側の記述した内容の幾つかの矛盾点が指摘されていますが、それは自分たちは被害者であったという立場を取るために必要な嘘だったのではないかと著者の佐藤卓己さんがおっしゃっています。

軍部に騙された国民、虐げられたメディアというイメージは強いですが、すでに民主的な選挙もあったことを考えると本当に独裁的にことを進めたとは考えられません。賛否ありながらある程度の国民も戦争を望んでいた。また戦争が始まった後はメディアと軍部は敵対しながらもそれなりに協調関係を持って世論を作っていったというのが事実に近いのではないかと私は考えています。

当然本当は何が起きていたのかは断片的な情報から想像するしかなく、事実を捉えることはとてもできませんが、それでもあまりにもステレオタイプな物語は疑ってかかる必要があると思います。もう一つの視点を提供してくれるという点で、この二つの書籍はとても参考になりました。


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