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身体接触の意義

以前心臓外科医でチームバチスタのモデルにもなった須磨先生にお話を伺った時に、「手術の成否に影響するコミュニケーションの要素は何かありますか」と質問したところ「握手でもハグでも背中にそっと手を置くでもいいですが、身体に触れると不思議と相手が信じてくれるという感覚があります」と答えられました

選挙に出た方にお話しを聞いても、とにかく握手ができるかどうかで相手の心をぐっと掴めるかどうかの感触が変わると言います。考えてみると私たちが言語を扱い、社会を営むようになったのは人類史的にはずいぶん後の出来事で本来は身体接触によるコミュニケーションが多くを占めていたのだと思います。

おそらく身体に触れるという行為は徐々に徐々に、普通のコミュニケーションから私的な領域に踏み込むこととして捉えられ避けられるようになりました。しかし、それが人と心を通わせる上で有効な手段であることは本能に刷り込まれてもいます。

私のような役割の人間が田舎に行くと、おじいちゃんおばあちゃんが遠慮せずに体を触りにきます。それは親しみを込めた行為です。けれどもたぶんそれを近代の都会の人はいけないことだと判断するのかもしれません。触れるということは立場によってあまりにも受け取られ方が違う行為です。

私のようなコミュニケーションに興味が強い人間は、話していても触れていてもそれほど大きな違いを感じません。どちらもグルーミングの一種のように見えます。これは踏み込みすぎた、これはよそよそしすぎるという風に、人間の間で波が行き来しているように見えます。

コミュニケーションのマナーは「不快ではなく相手を触ることができる」であり、コミュニケーションが上手であるということは「心地よく相手を触ることができる」だと思います。厳格な人が極端に心を許している相手がいたりしますが、一旦私的領域を受け入れると別の関係性が生まれるからだと思います。

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