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悟りとは夢中ではないか

私はブッダが言った悟りとは夢中の状態に近いのではないかと考えています。共通の特徴は瞬間性です。今この瞬間を生きる。

悟りは言語的には執着から解き放たれ心の平穏を手に入れた状態だと言えるのではないでしょうか。過去を悔やまず未来を憂いていない。起きる出来事に心が惑わされず、執着せず、手放し続ける。

それは瞬間を生きることだと理解しています。

悟りを生きることは凡人にはなかなか難しいですが、夢中であれば体験できます。夢中の瞬間に人は過去を忘れ、未来を心配せず、今ここに没頭しています。悟りと同じとは言えないと思いますが、似ているところもある。

「夢中の瞬間だけ色んなことを忘れても、問題は解決していないではないか。それは逃避ではないか」と問うこともできます。

けれども、考えてみれば人生の究極の問題は答えることができません。なぜ思うようにならないのか。なぜ人は死ぬのか。なぜ大事なものは永遠ではないのか。

これらの問題を論理的に解決することはできません。ただ、「まあ、どうでも良いか」という気分になることはできます。そんな気分になるまで先延ばしするのもまた人生の知恵であるように思います。

夢中の瞬間、自分を意識することがありません。ブッダは苦しみを生み出すのは自我であると説きました。短い時間かもしれないけれど、自我が喪失することで苦しみから逃れられる。それが夢中だとは言えないでしょうか。

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