構造を理解し、ポイントを整理する人の重要さ

声を上げる人と、具体的に進める人の役割の違いは大きい。声を上げる人は共感を集める。具体的に進める人はオセロをひっくり返すような変化の起点を絞り、そこを変える。盛り上がっているけれどもうまくいかなかった類の運動は具体的には何をすればいいのかを示せなかったからに見える。

これは大変な問題だと叫ぶ手法が私のような昭和世代には染み付いている。強大な権力があり、その悪を暴くことで社会はよくなっていくという物語が前提にある。ところが、社会は複雑になり、少しずつだがルール整備も進み、もうそんな強大な権力が集約されている場所がなくなりつつある。

怒って押し寄せてドアを開けてみると、間に挟まれて疲れ切った担当者と、問題が起こらざるを得なくなっている構造はあるが、そこに巨悪がいない。けれども大量の人が怒ってドアに押し寄せているから何か落とし所がないと気が済まない。そして問題解決ではなく、誰かが人前で処罰されることで一応の気持ちの解決を見る。

問題があり、それを引き起こしている構造があり、その構造の中でも要の部分があり、その要を変える方法があり、それをできる人がいて、その人がそうしたくなる(せざるを得なくなる)ようにするにはどうすればいいかを考える。流れのどこかにポイントがあって、ここを変えるといいというのを示す。

どうして問題が解決されないんだろうと憤る人。一歩引いた視点からみてみると、そもそも目的が問題の解決から本人も気がつかない間に憤りの発散になっているからで、怒るよりは構造を理解して絞った方が実現しそうに見えるのだけれども、そんなこと当事者に言おうものなら攻撃されるから誰も言わない。

かと言って何事にも冷ややかに分析ばかりしていても世の中が変わらない。興味を持たせ共感を集める仕事と、構造を整理し変えるポイントを示す仕事があり、両方できるスーパーマンもいるかもしれないが、現実的には2人以上でチームを組むのがいいのではないかと思う。

ただ怒っても変えられないんだと気づくのは、早い方がいいと思う。

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