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為末コラム:蝙蝠(コウモリ)とコーチング

哲学者のトマスネーゲルが投げかけた『蝙蝠であるとはどのようなことか』という問いがあります。人間は聴覚、視覚、嗅覚などで主に外の環境を把握していますが、蝙蝠は超音波を発しそれを受け取って自らを位置を把握する反響定位という方法で外界を把握しています。この反響定位という方法は蝙蝠にとって見えるように感じているのか、聞こえるように感じているのか、または全く違う感じ方なのか、それとも感じてすらいないのか、私たちにはわかりえないだろうとトマスネーゲルは結論づけています。もちろん人間の認知機能が明らかになっていっているように、超音波をどう投げかけて、身体のどの部位が受け取って、それによりどんな反応が起きて、という機能の研究は進む可能性があります。しかし、その情報が統合され本人の主観的体験としてどのように感じられているかには結局たどり着くことができません。味蕾の機能や、匂いを感じる機能はわかっても、ケーキを本人がどのように美味しく感じているかという体験はわからないということです。

コーチングなど他者と向き合う際に、この主観的体験を共有できないという前提に立つことはとても大切になります。もちろん人間と蝙蝠ほどの大きな違いは人間同士の間にはありませんが、それでも個人差はあります。耳が聞こえない人もいれば、目が見えない人もいる。視覚を優位に使いやすい人も、分析的に捉える人もいます。私たちはあまりにも見た目が似ているために、まるで自分の主観的体験と同じように相手も感じているだろうという前提に立ってしまいますが、実際には感じ方は違うわけです。

ここで大きなポイントになるのは、考え方が違うというわけではないということです。考えるより前の段階、外界を体験している無意識の領域、自分では自覚できない領域ですでに個人差があるということです。これが何を意味しているかというと、意識することで感じ方を鋭敏にすることは可能ですが、無意識であるがゆえに基本的には本人の努力で変えることができないということです。

人間は違う主観的体験を生きていて、相手の主観的体験は本来持ち合わせた機能の癖と、さらには人生においての体験によってできている。ですから、コーチングではここに対する想像力が必要になります。

一方で、長い時間共に過ごしていると、この主観的体験が似てくるという経験をします。主観的体験が似てくるのか、相手の感じ方のバイアス加減が理解できるようになるのかはわかりませんが、少なくとも外から観察してチームで同じ時間を長く過ごした選手とコーチの感じ方はとてもよく似ているように見えます。いわゆる日本的「背中で教える」や、「すり合わせ文化」はこの長い時間一緒にいることで主観的体験において共通するものができあがることを前提としている可能性があるのではないかと思っています。

さて、私には幼少期からずっと知りたい(体験したい)ことがあります。それはカールルイスであるとはどういうことか、です。彼は飛ぶように走りましたが、あれは一体どのような主観的体験だったのでしょうか。主観的体験は、言葉にすることが難しく、故にトップアスリートが時々語る感覚の世界は、主観的体験の扉をほんの少し開いてくれるようでとても心が惹かれます。

※コウモリであるとはどのようなことか
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Deportare Partners News Letterより

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