「自分の胸に聞いてみなさい」という教育の威力
長文ファンの皆様おはようございます。
権力者が組織を掌握し支配下におきたい時に推奨されるのは、無意味な人事を行うことだと言われています。
人事には普通なんらかの基準がありますが、いきなり引き上げられたり、いきなり降格させられると、それを見ている組織内部の人間全員が
「一体何が基準なのか」
と混乱するようになります。
そして、次第に皆が権力者の顔色を窺うようになります。組織自体は弱くなると思いますが、権力者への忖度と忠誠を生み出す効果は絶大です。
基準が明確であるか、明確でないかは、人の理解に大きく影響を及ぼします。仮にルールがあったとしても、それを適用するかどうか判断の余地があれば似たことになります。
権力はルールよりも、運用の余白に宿ります。
いきなり降格された人間は「何が問題だったのか」を常に考え続けるようになります。その人だけではなく皆が疑心暗鬼になる。この心の奥に疑いを潜ませることが権力の源泉になるわけです。
日本では(東アジア圏でもありそうですが)問題が起きた時「自分の胸に聞いてみなさい」と伝えることがあります。
日本の秩序を保つ上で、これは結構有効だと思います。問題が起きた時に、自分の正しさを主張するのではなく、自分の側に問題があると考え、自分でそれを発見しようとするからです。
また、常に内省的に自分が正しいのだろうかと考えることも促します。皆が抑制的に、相手を慮れるのはこの効果が大きいと思います。
一方で、これは悩みを個人に持たせる可能性があります。例えば友達とうまくやれない自閉傾向がある子供にこれを行うと、自尊感情を損わせるのに絶大な効果があると思います。
普通は「理由があるから問題だ」というわけですが、この手法は「問題だ、理由に気づきなさい」です。
そして、多くの場合、言われた側が、言った相手の心の中にすでにある理由を当てるゲームになりがちです。
戦後の反省でドイツは「一人でもnoと言える人を育てる」という教育方針を打ち立てたそうです。ハンナアーレントは「凡庸の悪」が人類最大の罪を生んだと言いました。
我が国では山本七平が「空気の研究」で総括したように思います。
「日本軍はよくやっている、しかし不思議なことにどこに中心があるのか全くわからない」
と整理した大戦中のイギリス軍のレポートがあります。
集団の心を読み合う文化、明確ではないルール、自己反省を強いる教育、の三つが絡み合ったという整理でいます。
権力者が無意味な人事を行うなら、皆権力者を見ますが、もし権力者がいない場合は、一体皆はどこを見て、どこにむかうのでしょうか。
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