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与えすぎて奪わぬように

我が家には教育方針がないけれど、もし何か選ぶとしたら『与えすぎて奪わぬように』が方針だろうと思う。自分の人生の経験から、人生で最も重要で得難い力は後天的にもたらされるものではなく、全ての子供が内側に持って生まれてきていると思っている。だからそれを阻害しないことがまず大切だ。

教育のパラドックスは、子供好きや教育が好きな人はつい子供に関わりたくなってしまい、関わりすぎてしまうところだ。むしろ関わらない方が子供が成長する場面において、良かれと思って子供に関わりすぎると、子供の成長を阻害してしまう。そのようにして、善意のもとに潰れていった才能をたくさんみてきた。

私は運良く、ほどよく放置された。母親はいつも後ろ5ー10mの距離からこちらを見ていて、振り向くまでこちらに声をかけなかった。おかげで私の夢中は壊されず、自分でやってみて、考えて、わからないと聞いてみて、というプロセスが回り始めた。思えば人生で一度も『正解は何か』と考えたことがない。

息子はよく質問をする。先日はどうして自転車のブレーキは手なのに、車は足なのと聞いてきた。そういう時には、(本当にそう思うからなのだけれど)『面白いこと考えるな、ととは考えたこともなかったよ。なんでなんだろうね?』と答えるようにしている。答えを仮に知っていても。

そうすると、多分こうじゃないかと息子が仮説を話し始める。仮説は大体間違えているけれど、面白いことが多い。考えてみると多分私が重要だと思っているのは、仮説が当たっているかどうかではなく、仮説が生まれるかどうかなのだろうと思う。疑問と仮説さえあれば人生は好奇心で満たされる。

身につけて欲しい力は、生きることを面白がる力だと思っている。それさえあればどの道をいこうが、どのような着地をしようが、失敗しようが成功しようが、人生は面白い。そのためには、答えすぎないこと、教えすぎないこと、誘導しすぎないこと、が大事だと考えている。

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