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コスパがいい人生とはどんな人生か

長文ファンの皆様おはようございます。

「コスパ」という言葉があります。「コスパがいい」はできるだけ少ない労力や時間で、より多くの満足や価値を獲得することだと定義できます。 コスパを追求することでより合理的な人生を生きられるような感じもしますし、実際にそういう側面もあります。

しかし、肝心の「価値」と「満足」を考えてみると、そうことは簡単ではなくなります。なぜならばそれは個人の価値観によって決まるからです。

コスパを考える際に追求しなければならない二つの問いがあります。

1、価値はどこからくるのか
2、ゴールか、プロセスか

価値をオリジナルで作り上げた人はいません。幼児期に生まれた環境にあった価値観を内側に取り込み、それを内在化させたものを他にはない自分だけの価値観だと思い込んでいることはよくあります。

ということは、価値観に疑いを持たないままにコスパを追求するのは、社会が定めた価値観をより効率よく達成する生き方でもあります。もっと過激にいうなら「社会が定めた競馬で最も合理的に走る競走馬」の人生です。
自分にとっての価値とは何かを考えるには本を読んだり経験したり、あれこれ思索する時間が必要ですが、これは大変コスパが悪い作業です。まとめてみるとコスパの目的を決めるために、コスパの悪いプロセスを経なければならないということになります。

スポーツをやる人は始める前に狙っている価値と、終わった後で手に入れた価値が違うと言われています。始める前は勝利を目指していますが、終わった後は充実していた毎日や友人との時間が幸せだったと振り返ります。何かを目指していたプロセスこそが価値だったとやってみて気づくということです。

価値はゴールでもたらされるものなのか、プロセスで得るものなのかという問いになります。もし価値がプロセスにあるのなら、いかにプロセスを長引かせ充実させるかがコスパが良いことになります。
これも難しいのは、やってみるまでプロセスからどんな喜びを得るかはわからない点です。だからあれこれやってみるしかない。

そう考えると、コスパで重要なのは「どの範囲で考えるか」になることがわかります。拡大すればコスパはほとんど意味がなくなります。人生そのものが死へのプロセスですから。

どの範囲のどの期間かを定義して初めてコスパは意味がある問いとなるのではないでしょうか。

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