我欲と社会課題

昔ある人にされてどきっとした質問がある。

”もしその問題が解決されるとしたら、あなたではない人が解決しても構わないですか”

私は少し考えた。過去に私が質問してきた経験から言っても即答で答える人は少ない。あまり考えたことがない問いかけなのかもしれない。私自身もこういう問いかけを自分にしはじめたのはここ数年だ。

世の中には解決されるべき問題がたくさんある。貧困や教育、病など。それらにとりくむ素晴らしい人々が世の中にはいる。その問題解決に人が向かうときの動機に我欲が混じっていることもよくある。我欲と書くとなんだか悪いことに感じられるが、我欲自体は善でも悪でもなくて、使い方次第によると思う。我欲を人助けに転化できる人は、自分の欲の使い方が上手い人でそういう人を僕は尊敬する。

問題を解決した人は世の中に賞賛される。そしてその人の存在が認識もされ、人生の実績にもなる。だからヒーロー願望が強い人が社会問題にとりくむことは多い。一方でこの欲求の使い方を間違えるとむしろ問題解決を妨げることになる。例えばある社会問題がある。入りこんでみるとめちゃくちゃに細分化されている。みんなが一つになってやれば一気に進むのではないかと思うけれどそれがそうならない。なぜならば一つになったらヒーローの数が減ってしまい名誉を総取りにしてしまうからだ。大きな目的ではなく小さな手段の違いで合意できない。もっと言えば誰の手柄にするのか、についてが一番揉める。

チームワークの競技ではなかったけれど、駅伝などを見ていて、チームワークの本質は自分の名誉よりチームの目的を優先するということだった。チームワークがわかっている人間は一旦自分の我欲を置いておくことができる。または我欲とチームの目的を一致させる考え方ができる。だから自分の感情や利得を優先してこない。こういう人が多いチームは機能する。なにしろそれぞれにメリットがあるようにという調整ほどめんどくさいものはない。宝の分け前を計算しながら進むより、まずはみんなで宝を取ろうの方がシンプルでわかりやすい。

問題を解決したいのか。”私”が問題を解決したいのか。

我欲は消せないが、我欲を認識してうまくコントロールすることはできる。我欲に食われていながら、食われてなんていないと思っている人が一番面倒だ。

2015年02月24日 blogより

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