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「sense of wonder」と三浦梅園

長文ファンの皆様おはようございます。

スポーツからはたくさんのことを学びましたが、一つ忘れられない風景があります。
24歳ごろ私は関西の実業団に所属しており、8月末の夏の終わりに合宿したときのことです。場所は京都の北の方だったと記憶しています。

全体練習は午前で終えて、皆休んでいるなか、夕方ごろ私一人でグラウンドで練習をしていました。ゆっくりとしたランニング程度です。ヒグラシだったか蝉の音が遠くで聞こえていました。

ふと顔を上げると、トンボがたくさんグラウンドの上を飛んでおりました。芝生の上を走ると避けていくトンボ。振り返るとまた元の位置に戻っている。

遠くに見える山、夕日に照らされるトンボ、トレーニングを終え少し疲労した身体が、美しいという感覚を超えて、自分は何か大きなものの一部なんだという実感が込み上げてきました。

「世界は美しい」

子供の頃からあった世界への直感が改めて甦ってきたように思いました。

アスリートにとっては、直感は重要です。あらゆる選択がある中で、なぜそちらを選ぶのかは突き詰めると、直感に頼っています。では、この直感はどう獲得すればいいのか。

レイチェルカーソンは死の直前での著作で世界に驚く感覚を「sense of wonder」と名付けました。
日本では三浦梅園が「枯れ木に花咲くに驚くより 、生木に花咲くに驚け」と言っています。

当たり前に生きている。当たり前に生まれてくる。しかし、考えてみると驚くべきことです。自然に驚いている私の身体そのものが無数の生命が同居する自然そのものなのですから。

自分の夢、自分の人生、これらを推奨する時代です。
しかし、とてつもなく雄大で大きな自然が、圧倒的なスケールで自分を包んでおり、そのことに気付かされた経験を持つと、人生のコントロールという言葉が到底無理であるし、そんなものはどうでも良いことを知らされます。

「スポーツとは身体と環境の間で遊ぶことである」

これが私のスポーツの定義です。ヨハンホイジンガは、著書ホモルーデンスの中で、神々の振る舞いを表現する際に複数の文化圏で「遊び」という言葉が使われていることを書いています。

遊びの最中の世界への直感は、自分より大きなものを感じ取ることだったのかもしれません。

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