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素直さの背景になぜ自己肯定感があるのか

昨日はセルフコーチングから素直さの重要さの話をしました。ではそれほど重要なのになぜ人は素直になれないのか。それを分析してみたいと思います。素直になれない背景には思いつく限り以下のものがあります。

・頑固さなど性格によるもの
・成功体験があるもの
・加齢
・自己肯定感が足りない

頑固さは意見の受け入れにくさが違うだけでたいした問題ではないと考えています。成功体験があることは新しい環境に挑戦し続けることで防げると思います。加齢はもうしょうがないです。なんとか若い人と会う時間を作ってだめだしをしてもらうぐらいでしょうか。多くの人にとっての問題は「素直になれるほど自己肯定感がない」だろうと思います。

ではなぜ自己肯定感がないと素直になれないのでしょうか?素直になるということはあるがままの自分を認めるということであり、また自分が認識する自分と他者から見た自分が比べられた時、後者を受け入れるということです。これは「私はこうでなければならない」と考える人にとっては受け入れ難いことです。プライドが高い人は自信がないというパラドックスは、わかりやすく言うと「自分自身の価値を自分で決められていない、また感じられていない」ということだと思います。プライドの高い人は、自分自身の価値を他者からの評価でしか測ることができません。

なぜそうなるのでしょうか。生来の性格や文化圏の考え方も影響するのだと思いますが、おそらくは人生の前半の育ち方が影響していると思います。

例えば条件付きの愛などがあります。これができれば愛されるということは、これができなければ愛されないことを含みます。優れていれば愛され、そうでなければ愛されない環境では、人は優れていることを証明しようとし、劣っていることが明らかになることを病的に恐れます。また、接触が少ない人生も素直さを阻害します。どのような自分であれ受け入れてもらったという経験の少ないという点では共通していると思います。

自己肯定感は違う言い方をすれば「劣っていようが優れていようが私は私のままで構わないという感覚を持つこと」です。これは競争や比較から逃れると言うことではありません。競争しても破れても、比較して劣ってもそれが致命傷にならないということです。自己肯定感がある競争心は持続可能です。

じゃあ素直さは努力では手に入らないのかというとそんなことはなくて、シンプルに自分を認めることで手に入ります。自分を認めることは「最も認めたくないことを認めること」だと思います。認めることから逃げている限りは素直さは手に入りません。

整理します。

自己肯定感がある
→優劣と自分がある程度切り離されている
→優劣を認めることがそれほど怖くない
→他者からのフィードバックを受け入れることができる
→素直になれる
→自分が思う自分の姿と外から見える姿が一致しやすい
→成長が促される

という順番かと思います。

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