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客観は可能なのか

客観は可能でしょうか?ここでいう客観は、一般的に言われるできるだけ主観を除いたデータや、意見ではなく本当の意味の客観です。

客観の定義のうち一つは”主観とは独立して存在するさま”とあります。そうであればいわゆる「私が認識するから存在する」ではなくなります。
また、データのように人間の認識とは別に情報を捕捉するものであればそれは客観ではないかとも言えます。

私たちが知り得ない全てを包括した情報があり、それを客観と呼ぶのであればそれは間違いなくあると思います。ただし、それを語ることもデータで示すこともおそらく難しいでしょう。なぜなら私たちの言語はあまりにも情報量が少ないからです。

データであったとしても、データそのものが私たちの着目から始まっています。少し大袈裟に言えば注意を向けた先のデータしか集めていません。また技術の制限もあります。

客観が誰の主観も入らないものであるなら、いきなり全体にならざるを得ません。なぜなら関係から逃れる単独の存在はないからです。厳密な意味での客観はまさに世界をそのまま補足することになるのだろうと考えます。

ですから私たちが普段使う客観とは人類で合意されたものということなのかと思います。

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