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良い生徒になる難しさ

うまく学べない問題は、教える側の問題でもあるという意見がある。これはあり得て、確かに教える側の技術によって学びは全く違う。しかし、教える人を自由に選べる機会はそれほど多くない。会社は選べても上司は選べないし、学校を選べても先生は選べない。結局、自分の学び方を変える事が現実解になる。

もう一歩踏み込むならば、人生において先生がいる時期はそれほど長くない。多くの場合は知識や技術を教わる。スポーツや、数学を教えることはできるが、生き方や、学び方自体を教えることは極めて難しい。しかし、ここがまさに重要なところになる。それは自ら学びとるしかない。

本当の学びは明文化されていない。つまり目に見えない。目に見えない関係を発見し、仮説を立て、実践し、修正する。この繰り返しで目の前に見えているものの奥にもう一つの世界が出来上がる。これが見えている人と見えていない人の違いは極めて大きい。

見えている世界を新しい関係で結び再構成すること。これを行う上で大切なことがまずあるがままを見るということだ。一度手離し、眺め、再構成する。良い生徒になれない人は、この一瞬脱力して眺めるという事ができない。理解しようとし、既存の経験、知識の枠組みに嵌め込もうと力む。真面目である。が故に既存の知識を手放せない。

しかし、このような学びをどうして言葉で伝えられようか。わかればわかる。わからねばわからない。教える側はわからない人がわかるようになる橋渡しをしようとするが、こればかりは頭で納得する話ではなく、経験することなので、本人の姿勢でしか前には進めない。これができず表面の明文化されたものばかりを覚えていくと、応用の効かない学びが出来上がる。

良い生徒になる技術は、あらゆることから学ぶための技術だ。この技術は獲得し、蓄えていく類のものではなく、むしろ手離し、空っぽにする類のものなので、コツを掴むのが難しい。覚えるより忘れる方が数段難易度が高い。

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