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先生とコーチ

私達の時代は、指導者の権限が強く、選手の恋愛や私生活にも指導をすることが多かった。私はそれが嫌で、コーチをつけないという道を選んでしまったが、もしコーチ業ということに専念してくれる人がいたらつけていたかもしれない。乱暴に言ってしまえば日本には、コーチが少なく、先生が多い。

競技力向上に影響していることはあまりにも多い。練習はおろか、食事、睡眠、友人関係、恋愛関係、高校や大学、家庭環境、住環境など。本当に選手を完璧に仕上げたければ、全部に介入したくなる。一方で、一体どこまで介入は許されるのか、果たして成功したときにそれは誰の手柄かという懸念が残る。

一般的にコーチに許されている権限は、グラウンドでの指導、あとはグラウンド外へのアドバイスだろう。アドバイスに従うかどうかは選手の人生なので選手が決める。一般的にコーチはグラウンドの範囲を出ず、先生的なコーチはグラウンドの外も指導の範囲とする。

人生に踏み込む指導の良い点は、金八先生のように、人生丸ごと引き受けるぞという先生に出会って人生が変わるということがあり得る。選手と先生の結びつきも強い。悪い点は、選手の人生に介入するので選手の人生そのものを支配してしまう可能性があることだ。結びつきが強いということはある種の共依存でもある。

人生に踏み込む指導は教員への負担も大きい。学校外の出来事が学校に影響を与えるからといって、そこまでを指導の範囲としすぎると、業務の範囲が際限なく広がる。突き詰めれば学校の外で起きた問題は、社会が包括していて警察や行政機関の範囲になる。情報を連携するのは大事だけれど、学校が背負いすぎている。

チームに所属していたとき、練習後ビールを飲んでいたらコーチが『ビールが競技力向上にいいとは思えないが、あなたの人生だからあなたの選択でどうぞ』と言って去っていった。このような距離感は心地よくもあるが、恐ろしさもある。自己管理できないものは自然淘汰され誰もそこに手を差し伸べない。

管理すれば生き残れないはずの選手が生き残ってしまう。その中に本当に人生が変わる人もいるが、管理プロセスで膨大なコストがかかる。私は冷たいかもしれないが、選手がどう生きていくかは選手の責任で行い、そこにあまり介入すべきではないと思う。誰かのせいにできる状況は選手を成長させない。

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