境界知能と自由な意思決定
昨今の「炎上動画」「闇バイト」などの背景には、境界知能の問題があると私は考えています。
私たちの世界は「個人の自由な意思決定」を尊重するようにできています。その傾向は日々強まっています。本人が決定したのであればそれは周りからとやかくいうことではない。「人間は自分の好みを持ち、自分で考え、自分にとって良い判断を下す能力がある」ことを前提としています。
「ケーキのきれない非行少年たち」「教科書が読めない子供たち」にあるように、実は文章を読み、論理的に考え、判断を下すという能力は誰もが習得しているものではないことがわかります。
知能指数を基準とすると人口の14%の人が「境界知能」に当てはまります。成長が遅れたり、そもそも考える力が弱かったりする子供が、育成過程で十分な支援を受けなければ、特に考える力が育まれません。
子供は決定権を制限されていますがその理由の一つが「未成熟で自分で考える力がないから」というものです。ですが、教育環境の不十分さで、大人でもそれが十分に獲得できていない人がいるとしたら自己決定権は本当に誰にでも認めるべきでしょうか。言い換えれば、自己決定したからといって同意したとみなしていいのでしょうか。
これは認知症の方の意思決定をどの程度認めるかに似ています。認知症の方が法の範囲内で高額の何かを買わされたとき、その背景に合理的な判断はあったとして認めるべきなのか、ということです。
境界知能の方が犯罪に巻き込まれる確率は高いと言われています。相手が自分を騙しているということを見抜くことは大変知的な作業です。男性であればいわゆる犯罪ですが、女性であれば性風俗が多くなります。
自己決定権の制限は自由の制限ですから「人権」にも関わります。特定の人の自由を奪うことになってしまいます。今社会は個人の自由を認める方向に向かっていますが、その個人の自由が犯罪に巻き込まれている理由にもなっているかもしれないわけです。
もし、境界知能の方の合意を認めないとするなら、人間には知能の差があり、十分に思考できる人とできない人がいることを認めなければならなくなります。
しかし、考えてみれば考える力があることを私たちは過大評価しすぎているとも言えます。もし考える力こそが人の価値を決めるなら、皆AIの前に完敗するでしょう。そんなことより、考える能力も含め多様な人々を孤立させず、つながり合う社会の方が良いと思います。
そのために、すべての子どもは努力すればみな同じ能力を獲得できるという考えをやめることが必要になります。そして、「普通に考えれば」という前提で作られた社会システムを変わらざるを得ないと思います。
これは「自由」についての議論になるはずです。そしてこの議論はAIの発展とともに盛んになっていくと予想しています。
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