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人間が家畜になっていくことについての考察

長文ファンのみなさまおはようございます。

私は人間の家畜化という考え方に興味を持っています。それを説明する前に人間の特性を三つの点にまとめてみました。

・人間は個体の生涯で環境に適応し、学習することができる

・人間は言語や文化で次世代に学習を引き継ぐことができる(meme文化的遺伝子)

・人間は自ら生み出した技術を環境に埋め込み、相互適用する

まず私たちは、他の動物と違い道具を生み出しました。際たるものは言語です。それを環境に埋め込むことで、環境自体が変化をします。例えば、お互い協力し合い農耕を行うなど。そしてそれに適応するように私自身も変化します。

さらに生み出された言語や文化は次の世代に引き継ぐことができます。リチャードドーキンスがmemeと呼んだものです。

この繰り返しにより、人類はこれだけ複雑な社会と、言語、システムを作り上げてきました。

人間は幼少期の段階で存在したテクノロジーには、環境の一部とみなして自然に適応する、と言われています。おそらく次世代はAIに自然に馴染んでいるでしょう。まるで水辺の環境に両生類が適応しているように。

興味深い点は自ら生み出した環境ではあるのですが、いつしかそれが自然なものとして扱われ、それがない状態をイメージできなくなります。国家、法律、言語、テクノロジー、思想、宗教などです。

なぜそのような道具を用いたのか。なぜそのような枠組みを作ったのか。それはどこかで(意図的かどうかはおいておいて)選択されたことなのですが、それを忘れてしまう。

知識とテクノロジーの観点では、人類は世界に広く出ているようですが、個体の観点では自分たちをどんどん檻の中に追い込んでいるようでもあります。

それはネガティブに言えば、檻で囲まれ安全な環境を提供され数世代たち、檻の外をイメージできなくなった家畜のようでもあります。ポジティブに言えば、人類の進化です。

家畜は檻の中にいる自覚があるのか、それとも外を知らないために、自由を謳歌していると思っているのか。教育とは檻の中の環境に適応することなのか、それとも檻の外があると知ることなのか。最近はそんなことが気になります。

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