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人間は複層的であることを前提とする

人間は物語化しやすいと書いたが、それは人にも当てはまる。人は誰かを見て勝手にその人がどんな人であるかをわかりやすく想像する。人間にはいいところも悪いところもある。優秀なところもダメなところもある。というのは頭では知っていても、なかなかそのようには人を捉えられない。

例えばアスリートや政治家の方、タレントの方などは容易にイメージが加速しやすいが、近い世界にいくと聖人君子などいないことがよくわかるし、一方で悪態をついている人がとても周辺から愛されていることもある。人間は複層的で、どこから見るかで評価は全く違うことはよくある。

人間を複層的に見られないことの問題はどこに現れるのか。例えば人を適切に評価できることは、上に立つときでも、また仕事先を選ぶときでも大事な能力だが、いい人であることと優秀であることは往々にして違うのに、複層的に見られない人はこれを混同する。嫌な奴だから能力が低いと判断したりする。

混同する人は評価するときに、嫌いといいたいのに能力が低いと言ってしまう。評価しているその人の目の確かさも私たちは見ているから、この人は好き嫌いで評価が歪むからフェアに評価できないタイプだろうなと周辺から思われる。実際評価は歪んでいるから、違った人選をしてしまい、結果が出なくなる。

このような好き嫌いで能力評価をする人の世界観は、いい人か悪い人かで二分されているように思う。いい人に一度分類するとその人がいい人であると思える情報を集めて、どんどん思いを強くする。このようなタイプは惚れやすく興奮しやすいが、一度期待を裏切られると人をこき下ろす。つまり期待値が高い。

最近はこのような人に向けて記事が作られていることが多く、記事のタイトルに、批判殺到とか、絶賛と言葉がつくことが多い。少し分別がある大人はこのような記事を読まないか、反対の意見でバランスを取る。しかし、いいとか悪いとかの評価を保留することは疲れることなので、やらない人はやらない。

私自身もそのようなところがあったが、ある時から「なるほど面白い」という態度で人と接するようになって変わった。人には私の知らない違う面があるかもしれないという前提にたち、その人の評価はいつも仮極めにして、次はどんな一面を見られるのかなと面白がるようにしたら、随分改善した。

私は人を一面的に見る人間は、人間に興味が薄いのだと思う。だから興味を持って掘り下げることをめんどくさがり、少ない情報で相手を各カテゴリーに入れてしまいそこで考える負荷を減らしているように見える。そして一面的にみる人を複層的にみる人は嫌がるので、一面的に見る人だけで集まるようになる。

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