個人的回想「アンダーグラウンドとアートの娘」…(Art・AI・社会システム)

X区X駅周辺の閑静な住宅街に、その障害者施設はあった。

スタッフの女の子。25-30(?)…精神障害者サポートの資格を持ち、彼女は平日の常勤・夜勤スタッフとして働いていた。女性には少し過酷な仕事だった。

北海道出身。そして北の名門国立大学を卒業していた。「なんだっけ?Hさんだっけ?」。体験外泊の時に初対面で名前をチェックし、その後のホームへの連絡TELで、私は声を弾ませて彼女に呼び掛けた。

二人の仲が進展するのに、その後長い時間はかからなかった。しかしあくまでも障害者と福祉スタッフ。しかも恋に未熟な私は、彼女にとってあくまでも仲の良いお話相手でしかなかった。

そして彼女の職場移動まで、一年半に及ぶ片想いだった。

恋は徒労だったが、対人関係は人を成長させるのが常だ。

彼女から学んだこと。それはアートセンスには周りを凌駕するような、絶対的なものがあるということだった。

彼女は常に私に好戦的???…いや私が無謀にもライバル視して、何かトゲトゲしい鎧を私の目に映る偏見として、彼女の身に私はガチガチに纏わせていた。

そんな中で彼女が生活し…私が生活し。そして私たちには生存本能があり…闘争本能があり…そんな対人上の生活の中で、私は彼女の行動を伺った。

・アート思考の「必要要素」
1、シンプル
2、生活上の厳格な規律
3、人間を大事にする
4、思考・調査への執念…
           彼女はそんな力を持っていた。

要するに彼女はタレントだった。若い子に目が眩む私もも情けないが、自らの能力上の拙さを思い知らされた自分自身が、私にとってもっともっと情けなかった。つらかった。

そしてその屈辱は畏敬に変わり…彼女の指示への隷属は生の悦びへと変わった。又、彼女にはファンがそのコミュニティの中で多数いることを発見したのも、その時だった。

Hは障害者界隈でのアイドルを演じその役目を立派に果たした。障害者アウトローのコミュニティ…アンダーグラウンドの世界。彼女はそこを自らの活躍の舞台にした。

<資料>
資本制におけるアートの可能性…

[アートは経済の一部ではない!]
アート作品はあくまでも経済の一部ではない。あなたがアート作品の解釈をやめてしまえば、それらはタダの金属の塊・ペーパーと化学薬品・聴覚ノイズになってしまいます。

[アートは経済の影響下にない!]
アート自体が資本主義の影響力を受けるというのは、実はアート界における幻想。

[アートの社会システムへの浸透]
アートは逆に社会のあらゆる物に浸透していく。

[アート・技術・AI…アートは強大]
アートは技術(:art)であり、その発展の道は人工知能(:Artficial Inteligence)へと結び付いている…つまりアートは私達が想像するよりも、遥かに強大なものである。

         /以上…Marx Gabriel(美術手帖2020.10月号…加筆修正・要約)

<まとめ>
・要するに何が言いたいか
=>アートの目指す場所…それは、「人間の悦楽」ではなく「人間の救済」である。

                了

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