無垢の円環1993

1993.11
自分が『The Circle』の発売された約半月後に生まれていることは知っていたが、正直今日までこのアルバムをあまり聴いてこなかった。

2011年に『月と専制君主』が発売されるにあたり「君がいなければ」を当時知らなかった覚えがあるので、『The Circle』を最初に聴いたのは2011年以降、高校時代だったと思う。「欲望」がどうも苦手だと、なんだか佐野元春っぽくないと、母に話した覚えがある。(これはC•I•T•Y city childを初めて聴いたとはまた別の「ぽくない」である)
君が欲しい、君を撃ちたい、と、生々しいことが佐野元春に歌われているのが衝撃だった。

0歳の頃にはライブへ連れていかれていたわたしが、いちばん最初に「ライブで聴きたい」と思った曲は「すべてうまくはいかなくても」だった。
それが収録されているからと『20th Anniversary Edition』(それから『Fruits』)を意識的にというか、自ずから聴くようになった。これはラジカセを自由に操作できるようになった小学校三年生以降のことだと思う。
そういうわけで、『20th Anniversary Edition』に収録されている『The Circle』の曲に関してはよく聴いてきている。

『The Circle』の中で最も聴いている曲は「レインガール」で間違いないだろう。
Do you love me?
Do I love you?
中学校で英語の授業を受けはじめ、文法的意味がわかった時のことを思い出す。なぜそんなことを訊くのかはわからなかった。
わたしのことを愛してる? はともかく、わたしはあなたを愛してる? そんなことは自分でわかるんじゃないのか、と思った。
初期コヨーテバンドのライブツアーでも演奏されていたと思う。大好きな曲だ。

小学生の頃、澄んだ空気に冬のにおいがする時期の朝、雲ひとつない高く晴れた空を見ると、「トゥモロウ」が脳内に流れていた。
この曲を聴くとランドセルを背負いながら、色の薄い水色の空と、夏の日差しとは異なる、まだのぼりたての朝日のまぶしさ、朝目が覚めて、と口ずさんでいる通学路を思い出す。

「彼女の隣人」は字がそもそも読めていなかったと思う。ペインの意味もわからなかった。でもぼんやりと、誰かの誰かによる救いを感じていた。

中学時代、家の中では山口洋(ヒートウェイヴ)がよく流れていたので、「君を連れてゆく」は山口洋のカバーでもよく聴いてきた。なんともいえぬ泥臭さ、潮のにおい、山口洋が歌っているほうがしっくりくるなと当時思った。今もそう思う。九州男児だからなのか? 佐野元春とは違う説得力、リアルが見えるのだ。
(オリジナルは欧米のロードサイドのようなものが思い浮かぶのだが、山口洋が歌うと日本海が見えてくる気がする)

「君がいなければ」は前述の通り『月と専制君主』のセルフカバーのほうを実質先に聴いたことになる。高校生のわたしにとっては「サンデーモーニングブルー」とセットのような曲だった。
(今思えば)まだまだ狭い世界で生きる自分の限られた経験のなかでも、感情移入できる箇所がある、そんな曲だった。高校から帰る冬の真っ暗な線路沿いの道、当時使っていた灰色のマフラーを思い出す。

わたしはこのライナーノートも、ついこの間まで読んだことがなかった。無垢の円環、という言葉も、ライナーノートに出てきたものとはつゆ知らず、何年か前に知人からこの言葉を言われて以来、てっきりその人が作った言葉、はたまた何か文学における専門用語かなにかだと思っていた。
それくらい『The Circle』とは縁がある割に距離があった。

2023年。リリースから30年。30歳。
今年はついに子どもたちといっしょに、夫と母と5人でライブへ行った。『今、何処』ツアー。
気がつけば三世代に渡り、同世代の友だちに佐野元春を聴いている子はいなかったけど、ライブに行ったあとも夫は『今、何処』アルバムを好きだと言ってよく聴いている。
それだけでもう、円環と呼ぶにふさわしい年だったと思う。

「ウィークリーニュース」は30年経った現代でも今日のことのように(ある意味で悲しいことだけれども)聴こえ響いてしまう。
「エンジェル」は今もロマンティックなまま。佐野元春は50歳どころか60代になってもロマンスについて歌っている。
普遍的だからこそ、つながり、まわっていくのだろう。

2024年を目前にして、2023年、節目の年に『The Circle』にまつわることを書き留めておきたかった。とりとめなくなってしまったけれど、母から教わったレシピを見なくても作れるようになったお雑煮を作らねばならないので取り急ぎ。

どうぞ良いお年をお迎えください。

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