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映画大好きポンポさん

ネタばれいくらかあるよ

先月から右目が外転神経麻痺という妙な病気になって物が二重に見えてしまい車にも乗れず絵も片目でないと描けないという個人的には地獄のような日々が続いていて、特に治療の手段は無く8割の人は自然に治るからと言われあきらめてる。自然治癒には数か月かかると医者に言われた。まあこれはこれで仕方ないので何か今の自分にできることをやろうと、新たな材料の吸収などと言い訳しながら海に行ったり映画を見たりして過ごそうと決めて、適当な映画でも見るかと2021年6月8日に大阪の難波に出かけなんとなく気になってた映画大好きポンポさんという映画をみようかと発券機の前に並ぶと突然売り切れとなった。コロナ対策の隔席状態で収容人数は少なくなってるしそもそも狭いスクリーンだったのもあるだろうがさすがに一杯で見られないとは思ってなかったのでちょっと衝撃的だった。その日は日本橋の1’sというパソコンパーツショップでパソコンの増設メモリ32Gを買って家に引き上げたのだがどうにも気になる。なぜ一杯なのか。どうも上映館が少なくて、集中してるらしい。次の日、朝から出かけて午前中11:25からの上映を見ることにした。まあ別にそれほど期待もしてなかった。シドニアかジャンクヘッドかポンポさんかどれにしようか、難波駅の前にあるTOHOシネマ難波本館で近いからこれにしよう程度であったし、昨日見られなかったのが悔しいからみてやるぞ、ぐらいだった。

鉛と思って拾ったらプラチナだった。

ポスターから想像してたのは、まあたぶん映画の好きな女の子が映画についてのうんちくを語る的な緩いアニメだろって感じだったのであるが、そうではなくて「映画しかない人間の脳内をぶちまけたようなもの」だった。クリエイターの讃歌であり、クリエイターの地獄であった。

おそらく、この映画は見るべき人の元にたどり着く。見なければならない人はきっと観る。見なくていい人はたぶん見ない。きっと時々は「見なくてもいい人」が偶発的に見てしまい「なにがしかの文句」をつけるだろうが、その批評はそいつが観なくていい人間だという証明でありそれ以上の価値は無い。過去に何かを創ろうとした人間でないと何一つ心に刺さらない可能性もある。

まず映画は素晴らしいものだが栄光をつかめるのは一握りで失敗すればすべてを失うかもしれないよ、と迫ってくる。そのうちに編集やつなぎがめちゃくちゃ凝ってるなあと感心するのだが、ここで編集にこだわってる事が後の主人公のやってる事に説得力を持たせる。ポンポさんは言う。幸福は創造の敵だと。クリエイターは逃げて生きてきた者にこそできると。今日本にいる絵描きモデラーアニメーターの心をわしづかみにする。そうなると監督のジーンに感情移入する。見てる間に俺はジーンとなる。ここでポンポさんが主人公ではなくジーンが主人公なんだとわかる。逃げてきた者を肯定するポンポさん。それは感情移入してる鑑賞中のクリエイターの肯定でもある。お前はそれでいいんだと。それがいいんだと。

デビューの決まった新人ナタリーにポンポさんがさっさと行け!と激を飛ばす。あわてて走っていくナタリー。歩道を走るナタリー。カメラは歩道と平行にナタリーの走る姿を映す。驚いたまま街を走るナタリーが戸惑いや驚きからデビューの感激に表情を変えるあのシーンの素晴らしさはなんだ。

俺はこんなすごいのを片目で見なければならなかった。つらい。

ポンポさんも可愛いのだが、あの「ポンっポさんが来たぞっ!」って言ってドアを開けるの、いいな。けど、あれを劇中少女とは一切思わなかった。こいつすげーな、とか怖いなとは思ったが。普段B級映画を作っているプロデューサーなわけだ。おそらく黒字に持っていける腕があるんだ。あんなキャラデザなのに。ジーンが追加撮影を頼む時のあの顔。あの目。怖い。

切る事の大切さ。捨てる事は選ぶ事。180分の映像を90分に切るのってとんでもない苦行だろうな。俺はそんなのやったことはないけど、ツイッターに上げるネタ動画でさえ切るには難しい。惜しいから。せっかく作ったのに。でも切らないというのは選ばないという事なんだ。きちんと選べないとぼやける。刺さらないんだ。そういう事を教えてくれるいい映画だった。多くのクリエイターがあの映画の中に自分を見ただろうし、憧れただろうし、恐怖したかもしれない。選べなかった自分を後悔する人もいるかもしれない。でも見るべき人は必ずたどり着くと思う。

これは映画館で鑑賞するべき映画だ。でかいスクリーンだからとかそういう事じゃなく。ジーンが試写室にいるシーンと感情移入した自分がシンクロできるからだ。これをテレビなんかで見てしまって「見た気になる」のは違う気がする。これだけテンポよく流れるように集中できる映画の間にCMを挟む?正気か?欠けていいシーンは無いぞ?まあでも映画館で出会えなかった人がアマプラかどこかに上がったのを見て、まあ普通だね とか言うのが想像できるのでちょっと悔しいな。

唯一、こうはならんだろうなと思ったのは銀行のシーンだけだが、家に帰ってから「いや あれはあれで あり得るかもしれないなあ」とぼんやり考えてた。映画産業のおひざ元の銀行であれがネット配信されてるならトップが体面を考えて心の内でむかつきながらもニコニコして融資にGOをだすのはあるかもな。と。

ネットにこの映画が上がるのが待ち遠しい。あのつなぎ、自分の動画で再現してみたい。かなり色んなパターンがあった。参考書としても欲しい。オープニングももう一回ちゃんと見たい。最初油断してたんだよなあ。

ポンポさんのいう事に名言が多かった。俺が一番感じ入ったのは先述のクリエイターたるもの、の部分だけど、それ以外にも多い。「感動映画で感動させるよりおバカ映画で感動させるほうがカッコいい」これだ、これだよ。もう本当にこれ。「ヴァイオレットエバーガーデン」は素晴らしいよ。もう一回見たいと思う作品だ。確かに素晴らしい。だけど、そうじゃなくて「このすば」でアクアが機動要塞デストロイヤーに向かって全力で撃つシーンにとんでもないカッコよさが潜んでるのを俺は言葉にできてなかったんだけど、これはそういう事なんだ。わかる?わからないかもね。わからなくていいよ。

唯一、これは無くてもいいんじゃないかと思ったのは歌だ。いや歌自体は素晴らしいとおもったんだけど ラスト近くで歌で盛り上げる手法って新海誠感がして、これは別にやらなくても十分にすごい映画だぞ?などと思ったが、まああってもいいんだろう。俺が何か映画作るとしてもたぶんこの手法は使うんだろうな。あざとくないようにするのは大変かもしれないけど。そもそも俺がこの映画を知るきっかけがその歌でありMVのようなものがツイッターに流れていたので題名を覚えたんだ。ありがたい。これを見逃してたらとんでもない損失だった。

まあとにかく昨日見てきて、今日まだよかったと思えるなら思いを書きとめておこうと思った。映画を見る前日までこんな作品の存在も原作も知らなかった。それがかえって良かったのかもしれない。

これは俺をターゲットにした映画だろうし、その作戦は見事に当たり俺に突き刺さった。いいものを見せていただいた。しかし俺の周りではほとんど話題になってない。冷静に考えると、話題ってなんだろうな。テレビでCMが流れツイッターでプロモーションが流れ有名人が番線でゲスト出演しながら映画宣伝するのが話題なのか。それ実は話題じゃなくて単なる宣伝だよね。金の力だよね。金の力は偉大だな。お金欲しい。カリオストロの城も最初コケたらしいが徐々に作品の力で認められた。願わくばこの作品も認められますように。日本より海外のほうが正当な評価受けるのかもしれない。


明日もう一回行こうかな



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