人生の伏線は誰も回収してくれない!!

先日、会社に行こうとして最寄り駅から電車に乗るときに、ふと背負っていたリュックを見ると大きい方のポケットがパックリ開いたままになっていて、いつも大きいタオルと小さいハンカチを最後に詰めて家を出発するのですが、タオルが今にも落ちようとしていたんですよね。あっぶねー、っと思い一旦ざっと中身を確認すると、小さいハンカチがない。こういうとき、あっどっかで落としたか家に忘れたんやなー、まあいいや、と、スルーできないタチなので、一旦後ろを振り返り、いや落ちてない… ベンチにカバンを置き中のもの全部確認… ない。乗ろうとした電車は出発してしまった。
だいたいこういうときって、わりと近くに落ちていて、あった!!ふぅ〜、よかった〜(汗)ってなることが多いので、とりあえず地面を慎重に確認しながら駅の階段を上り、改札まで来た道を戻る… ない。

そしてこうなったらもうハンカチを見つけないと気がすまないので、片道10分の自宅までの道を、慎重に地面を確認しながら、歩いた軌道を思い出して辿り、探して家まで帰ります… それでも、ない。
妻に事情を説明して家に入り、実はカバンにすら入れてなかっただけというオチを期待しつつ引き出しを開けて探すが、ない… やはりどこかで落としたのだ。
最後の望みをかけて、2度目の出発。1回目に家を出たときと同じ道、同じ軌跡でもう一度駅まで歩く… ない…。

別にそのハンカチに特に思い入れがあったわけでもないのですが、その日1日、最初家を出るときにカバンが閉まっていることさえ確認していれば落とさなかったのに、というのと、もしかしたら気付いていないだけでハンカチ以外にめっちゃ大事なもの落としたかもしれない、というのとさらに、これから先も自分の不注意でこんな感じでモノをなくし続ける人生…学習しない人生かもしれない、と思って悶々とクヨクヨする時間が嫌なのです。絶対にハンカチを見つけて会社に行きたい… いやハンカチそのものじゃなく、なくしたハンカチが作った心の穴を埋める何かを探していた…

というとなんか文学的ですが、意外とすぐに切り換えられてしまう自分の薄情さに逆に驚くのが、いつものことだったりします。会社に着いてトイレに行って手を拭くときに、2回めに家を出たときに入れた別のハンカチを広げながら、あっそういやなくしちゃったな1枚、という感じです。
あの小一時間の執着はなんだったのか。

人生で大なり小なり、いろんな物をなくし、いろんな人とすれ違ってきたと思いますが、件のハンカチのように、過ぎてしまうと忘れてもうあまりパッと思い出せないし、再発防止策が取れるものはなんとなく人生の教訓として持っていても、思い出してくよくよすることもなく。逆に意外なところでひさびさの再会を果たしてもなにか特に運命めいたものを感じるでもなく、行きあたりばったりの生活を継続してきました。

その週末、録りだめて少しずつ見ていた朝ドラ「カムカムエブリバディ」を最終回まで見終わりました。3人のヒロインが親子3代、100年にわたって紡ぎ出すストーリーと言う触れ込みの今までにないドラマだったのですが、最終週の、ドタバタと全部の伏線を回収していく感じがまあすごい。戦火で焼けた岡山で初代主人公の父が売っていたおはぎを盗んでつまみ食いして怒られた少年が、最後には味を受け継いだお店をやってくれていたり、3代目ヒロインが英会話ラジオの講師の仕事をやり遂げ、相手の外国人講師と久々に再開、彼は実は子ども時代に会っていた異国の少年だったり(その時話せなかった英語で、伝えたかったことを今伝えられた!)[ネタバレすみません]。
ストーリーの途中で意味ありげに現れて姿を消し、だけどその後ほとんど忘れていた、というモノはだいたい最後に再び現れて、あぁ!あのときの!そういうことだったのね!!という流れ。だってそれがドラマだから。
人ってなんであんなに、いい感じで伏線回収されるストーリーに気持ちよさを覚えるんでしょうね。そしてあんな展開を思いつく作家や脚本家って普段からどういう思考をしているんでしょうか。

ひるがえって私の人生。意味ありげに僕の前から消えたハンカチはただのなくしてしまったハンカチでしかないし(そのおかげで今後なくしものは減るかもしれませんが)、意味ありげに僕の前から去っていった人は… 人は… そもそも意味を見出すほど深い人づきあいをしてきたのか??と悲しくなります。
たまに、あのときのアレが…自分の知らないところでこう動いて…ここでこう現れる!(とおもしろいのに!)と、メタ認知からの空想を広げたりしますが、全て自分中心に回っている朝ドラの主人公みたいに自意識過剰やん!と思って空想をやめます。
まぁとにかくこれからも続く人生で、目の前に現れた何かに感動したり、嫌悪感を抱いたり、手に入らない何かにしばらく執着してその後忘れたりを性懲りもなく繰り返して、これからも生きていくのでしょうね。やれやれ。

あれから1週間くらいたちましたが、家に帰ると3歳の娘が、「おとうちゃーん、おかえりー、タオルあったー??」と声を掛けてくれます。
今は我が家のヒロインの平凡なドラマがいつまでも続くように祈るばかりです。

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