話を聞くこと

少し前にオリエンタルラジオあっちゃんのYouTubeで、「7つの習慣」が紹介されていたので見ました。付け焼き刃で表面的な成功ではなく、本当に深い納得感と充実感が得られて自分だけでなく周りの人間にも好影響を与えながら達成する真の「成功」とは。アメリカで数々の成功例について考察された著書を、わかりやすく紹介してくれているものでした。僕自身はあっちゃんの話を聞いただけで、本書をまだ読んだわけではないのですが。

「方法」ではなく「習慣」。具体的には、「自分を磨く」「他者との付き合い方、受け入れ方」「小さな成功を積み重ねてそれに満足せず、ただひたすら繰り返す」といった章に大きく分かれている。その中で、特に心に残った言葉がある。

「相手を解釈しない。助言しない。徹頭徹尾共感しろ。」
「相手を理解し、相手に理解される」

折しもその前の晩、妻と喧嘩したところでした。
家族との時間をないがしろにしている。話を聞いていない。自分の興味のあることしか頭にない。そう言う日頃の鬱憤が爆発して集中砲火を浴びせられて、こっちも売り言葉に買い言葉で反撃してもう収集がつかなくなった次の朝でした。

妻の話を聞く時、面倒臭いなぁ、もっと簡潔に短くまとめて喋ってくれないかなぁと、よく思う。思ってはいけないと思えば思うほど態度に出てし待っているのかもしれない。僕はそんなにおしゃべりが好きなわけでもなければ、良い聞き役でもない。妻であれ誰であれ、基本的に会話が得意ではないのだ。

あっちゃんの言葉を聞いて、正確にはあっちゃんが紹介したコビー先生の言葉を聞いて、今までと何かを変えてみようと思った。会話が苦手でも共感しようとすることはできる。面倒臭くても、耐えて受け入れることはできる。まずは形だけでも途中で茶々を挟んだり解釈したりすることなく、聞いてみよう。聞いているふりだけでもしてみよう。それで何かが変わるかもしれない。

冗長な話にも、とにかく最後まで聞き、わざとらしいくらいに、「なるほど、そうなんやなー」と。相手が喋り終わるまで待ってから、「そう言うふうに思ったんやなー。それは大変やなー。」どれだけ事細かに話されても、相手の状況は相手にしかわからない。自分の引き出しからそれっぽいものを取り出してまとめてしまうことがトラブルの元だ。相手の話を受けて自分が言えることはあくまで第三者的感想に過ぎないことを心得ること。これを日々忘れずに、妻との会話に取り組んだ。

これを日々意識して鍛錬してきて、1ヶ月くらい。
不思議なことに、妻とのけんかの頻度は減った。というか、あれ以来ほとんどけんかをしていない。自分の中に、話を聞く心の余裕のようなものができたように感じるのだ。

特に思ったのが、「相手の話を遮らずに最後まで聞く」ことの難しさ。
人は自分が大事にしているものを蔑ろにされた時に怒るけれど、自分がどうでも良いと思っている部分にやたらこだわっている人に対しても別の種類のイライラを抱いてしまう。けれどもそれも、じっと我慢。聞く。最後まで聞く。そしてそれに少しずつ耐えられるようになった自分に、成長を感じました。
それと関係があるのかないのか、ふと、仕事で同僚と話す際、「この人やたら話遮ってくるな。最後まで聞いてくれないな」というのに、以前よりも気づくようになった。思いながら、これまでの自分がそうだったということに、ひしひしと気付かされた。恥ずかしくなった。
ーーー遮ってでも話してくる奴には、まずは言いたいことを全部言わせてあげよう。
自分でも不思議ながら、そういう境地に達していた。

これまで自分がストレスなく生きてこられてきていたのは、紛れもなく、周りの聞き上手の人たちが僕との会話のストレスを吸収してくれていたんだなと思う。最後まで聞かないストレス。途中で話を遮るストレス。

僕の中で少しずつ、何かが変わり始めてきた。
きっかけはあっちゃんのYouTubeだったり妻とのけんかだったりするかもしれない。どんな場面でも、まずはとにかく最後まで聞く。簡単なようで難しい。これを、とことん続けていこうと思った。

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