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浪人時代の話(その6)

東京見学で大事な話を忘れていた。
T君という高校同期と会い、カラオケをするなどした。
彼との思い出を少し書いてみたい。
T君は生徒会長であり、成績優秀、品行方正、東大模試も文IIIで常時A判定だった。
現役時は家に泊めてもらい、河合塾の冬期講習を受けさせてもらったこともある。武道をしていた。人付き合いのアドバイスももらった。私は発達障害もあり、いじられキャラが定着していた。ただ、それは苦しい。そんなことをT君に伝えると、「自分の立ち回り方を考えないといけない」と真剣にアドバイスをしてくれた。
彼は現役では前期文III後期京大文に不合格になるが、「生徒会長で現役で東大京大に入れなかったのは母校の歴史で俺が初めて。プレッシャーになったよ」とのこと。私の母校で任命制の生徒会長になるというのはストレスになるのである。それも本来は彼が生徒会長になる予定ではなかった。
学校側としては、現役で理IIIに合格した灘蹴りの理系のY君を生徒会長にする予定だった。だが、理系の上位クラスで別の生徒のF君が立候補して学級委員になった。それで、文系上位クラスのT君が代理で生徒会長に任命されたのである。F君はある種、学校に歯向かったと言え、度胸のある男だと思う。
少し話がそれたが、そういうこともあり、T君とも交流があった。
彼は河合塾の大阪校に通っており、時々飯を食べたりしていた。
T君は結果的に一浪で東大文III、慶應法、早稲田政経、早稲田一文、慶應文など東大早慶を総なめにする。河合塾でも特待生に選ばれ、前期後期で全額返還を受け、河合塾に学費無料で通ったことになる。
生徒会長としての実力を発揮したのである。
そう考えると、私の現役のセンター試験は波乱含みであった。
また、東大二次試験でも加法定理の証明が出題されるなど記憶に残る年であった。

T君は東大合格後、一留して文学部を卒業後、Y学院の教材作成担当となる。結婚して子をもうけるが、脳の病気になり、若くして亡くなってしまった。なんだか就職氷河期は若くしてなくなる方が多かった。世代だなと感じる。

続く

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