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中学時代の思い出⑦

智辯和歌山入試が終わり、一息ついていた。

合格後にY校長先生から校内放送で呼び出しがあった。
校長室に入ると、「S君、よくやってくれた。おめでとう。」と声をかけられ握手を求められた。
「智辯和歌山編入に3名、国際科に4名。計智辯和歌山に7名は有田地方ではB
中学に次ぐ数字だ。ありがとう」
ということだった。
「開成高校の数学では~」
という話をされた。
校長室に校内放送で呼び出され校長から握手を求められる。上位校に合格できたことの実感を得られた。

入試の翌週、マラソン大会があった。
最後、仲の良いF君とゴール付近で競争になったが、逃げきってゴール。
90人中26位だった。
もちろん速くはないが、県トップの私立進学校に入った中では足は遅くないなと感じた。

それから「三年生を送る会」というものがあった。
送る言葉と映画の上映があった。
私の学年は「耳をすませば」であった。
印象に残る作品となった。

学業で言えば、学年末の定期考査は3位だった。
Y君がトップだったようで、智辯に行った佐藤君より上ですごい。
という話になっていたようだ。
失礼ながら、全く次元の違う入試で勝負に勝った自分としてはどうでも良いところだった。
3月に入り、最後の実力テストがあった。
実力テスト後の面談もあったが、担任の先生に、「佐藤君は457点で1位。いうことはないね。智辯で頑張ってください」それだけだった。

卒業式は万感の思いで迎えた。
「佐藤大輔」と名前が呼ばれると、「ハイ!」と大きな声で返事をし、卒業証書を受け取った。
式が終わるとみんな寄せ書きなどをしあっていたが、自分はそれとは縁がなかった。やはりアスペルガーなのもあって、少し変わった人、という見方をされていたのかもしれない。帰り際、私と同じく智辯に合格したKさんが野球部のK君に告白しているところを見た。振られているようだった。残念だろうなあと冷静に見ていた。
180人の公立中学で首席卒業で県トップ進学校合格、前途洋々で中学生活を終えたのだった。

高校編(智辯和歌山編)に続きます。

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