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中学時代の思い出③

中3の春が終わる頃になると能開生活にも慣れてきた。
朝起き、学校へ行って授業を受け、部活をやって親の送迎で最寄り駅まで行き、そこから箕島駅で降り、能開箕島校に行く。授業を受け、帰宅して勉強。24時には寝る。
という生活だ。
智辯和歌山高校入試(編入という)は英数国の三教科入試である。英語200数学200国語100で英数は二日間入試があり、面接もある。
そういうわけで英数国の講義をみっちり受けていた。国語は週一で英数は週二だったか、少し回数は失念した。
英語と国語は伸びた。みんな国語は手を抜いていた。私は課題を全てこなしていた。今でも能開で「ぞ なむ や か こそ」と係り結びの法則を覚えたことを記憶している。「けり」の活用も教わった。また、問題演習も真剣にこなした。国語は得意科目となり、最終的には校舎内順位ではトップにまでなった。英語も最初はダメだが、徐々に力を付けた。毎回単語テストがあり、70単語程度は毎回覚えて行った。私は単語テストで毎回トップクラスであり、語彙力勝負では勝っていた。文法も講義以外で渡されるものも覚え、徐々に学力を伸ばしていった。英語も最終的には校舎内順位はトップになる。
合格は掴んだものの最後まで伸びなかったのは数学であった。正直、関西難関校の数学は難しい。塾でやるオリジナル問題もかなりのレベル。
一般のテキストを使った講義のほうは消化できたが、F先生の特別講義はさっぱりだった。ただ、あれは灘や東大寺を受ける生徒向けの講義と言えるだろう。正直、智辯和歌山にはオーバーワークだった気がする。
ある時、F先生が「日曜日補講をするので出たい人だけ出てください」ということをおっしゃった。私は気持ちが乗っていたので出た。当日、ビックリしたのが、「これは東大理系の過去問ですが、君たちでも体積を求めるところまではできるからやってごらん。最後の極限の話はいいとして」というものだった。東大理系の過去問、正直、わけがわからなかったが、田舎の塾で公立中3年生向けにこんな講義が行われていたのは凄いことだと思う。
F先生は厳しかったが、ためになった。
実力テストというものが年に4回あるのだが、最初の実力テストはそれほどだった。だが、社会は満点。やはり地理と歴史は実力十分のようだった。中3は公民だが、公民は意図的に勉強しなかった。社会の成績が良いと批判されるというのが塾だったので。私が英数国の成績がそれほどだったのもあるのだろうが。
7月になり、卓球部の最後の夏の大会があった。団体戦は予選リーグ敗退。シングルスは二回戦敗退だった。緊張してサーブが全く入らず、ドライブもスマッシュもネットにひっかけたりオーバーしたり。運動のセンスはないのだろうなと思う。基本的には全ての練習に出て毎日トレーニングを欠かさなかったが、やはり努力は報われないこともある。指導者がきちんと教えてくれなかったのもあるのだが。
そして受験の天王山とも言われる夏休みに入っていった。

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