「多才」ってなんだろう。(答えのないよもやま日記)


■多才ってなんだろう

現在、17LIVEで発信をしているのですが、やっている事をいうと「多才」と言われます。

・唄とギター
・作詞曲
・DTM
・自主企画ライブ
・イラスト、絵本
・アパレル

なるほど、こう書けば一人の人間がやっている事としては多才かもしれません。

ただし、自己肯定感があまり高くない自分からすると、
「歌はまだ2年目だし、そもそもが音痴だからまだ道半ばなんだけどな」
「絵本はこれが処女作なんだけどな」
「自主企画ライブは、人に呼ばれないから自分で組んでるんだけどな」
なんて思ったりするので、「多才」と言われる事には少し違和感はあります。

人は何かしら特技や才能があると思っています。

自分の特技や好きな事は上記のように言語化しやすいから、聞いた人が「何をしているか」が想像できて「うわ、自分にできないのを何個もしている」と思われて、「多才ですね」なんて言われるんじゃないかなと結論づきました。

(普通の主婦の方でも、子育て・家事・パートと違うジャンルを頑張ってるんだし、自分からすると多才だと思います)

■嫌味な言葉から、素直に受け取れる言葉に

「まだ音楽は多くの人に届いていない。」
「絵本も初めて作ってるから評価がわからない」
「DTMも色々慣れてきたけどMIXなどがまだ分からない」
「アパレルも常に悩んでいる」
という現状なのに、うがった見方をして、批判・批難してくる人が多数いたので卑屈な気持ちになる事が以前は多かったのですが…。

その経験から、無条件に評価してもらう事は少しは違和感を覚えますが、それでも純粋に「すごーい!」と言っていただけているので、今は嫌な気分にはなっていません。
最近いい人と出会えているので、そこに少しも悪意もないんですよね。褒めてくれてるんですよね。「ありがとう」って気持ちをもって。

関係値が近い友人に何気なく話すと
「普通の人は作曲なんてできないよ」
「特別上手くないけど、ギターも下手じゃないよ」
「まず、やれることが普通にすごいんだよ」
みたいに言ってもらえました。

それぞれのクオリティの是非はいったん置いておいて、「やろうと思って挑戦している事」「それを達成しようと努力を続けている事」については間違いなく自分の努力の形なので、それは自覚して自分を認めてあげようと思いました。

■「多才」のルーツ

絵と音楽は、ただただ「好きだから」がこの年齢まで続いています。(中断しましたが…)

イベント企画などは仕事を頑張ってきた事の応用かなと思っています。

それも、「良い仕事をしてクライアントに喜んでもらおう」と勉強と努力を重ねた結果かなと思います。

「好きこそものの上手なれ」
「千里の道も一歩から」

それがシンプルに活きてるのかなって思います。

ただひたすら愚直に。

音楽など、「良いと思って頑張ってる」けど、本当に価値があるかどうかは受け手次第な所もあります。

だから、そこを驕るわけではなく、意固地になるわけでもなく。

自分の努力を自分の自信にして、これからも頑張ろうと思っています。


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