書けなさにどう向き合うか(編集中)

このnoteは思いっきり書きかけです。かけない僕がいつかけるようになるのか、公開することで書くことができるかもしれない、という実験です。更改していくつもりではありますが、このまま終わったらごめんなさい。

ver 1.0 2022.03.13 14:00-14:25

―――――以下本文―――――

こんなことをつぶやいた。

呟いた後、いい機会なので少し掘り下げたいと思った。もう少しアウトプットの解像度を上げることでアウトプットに向き合えればと思った。

自分は比較的よく喋る方だし、Twitterでも比較的発信する。資料作成などもそこまで嫌いではない。それに本が好きだ。昔から本をポロリポロリと読んではいたが、オンラインコミュニティのコルクラボに入ったおかげで、この2、3年はめちゃくちゃ幅広く読むようになった。Aを読めばBを薦めてくれる友人がいて、Bを読めばCを、、、と数珠つなぎなうえ、今どきアマゾンがDを薦めてくる。際限なく読書の海を漂える。だいたい起きたら本を読むし、だいたい本を読んで寝落ちする。

しかしながら、特に本に関するまとめが苦手だ。今年からはもう少しちゃんとしたいな、と読んだ本は必ず呟くようにした。けれども結局ばっくりした引用と、「納得感あるなー・すごいなー」的なツイートや、「あの本にも書いてあったなー」になりがち。


どうして?

オリジナルなことしか言ってはダメなのではないか?という想いがある

正しい事いえてるか?本物とはなにか?


経験とリンクさせれてないかも


問いを小さくしてみる。





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