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グッズ作製から学んだこと

ボクは、西野亮廣エンタメ研究所(オンラインサロン)で三重県のサロングッズを勝手に作ってきました。

もうすぐ、勝手に作ったグッズがみなさんの元へ届きます!!


約5ヶ月間、グッズ作りを通して学んだことを、勝手に記録しておきたいと思います。


ボクがこのグッズづくりで学んだことは次の2つです。

自分で選択すること

行動(挑戦)すれば、人助けができるということ(自分も助かる)

サロン 三重 デザイン2

夢も希望も持っていない方の、ただのゴミ人間

ボクは“西野亮廣”という人物に出会うまで、『行動すること』とは無縁の人でした。。。

楽をしてどう生きていくか。そんなことを考える毎日。

どうやって休めるか(さぼれるか)。
どうやって何もしないで生きていけるか。

人助け? そんなことは建前だけ。。

ボクはそんな人間だったと思います。。

(※重い投稿ではなく、勉強になったなぁ!という投稿です!!)

サロン 三重 デザイン1

一年休んだよ(^^)

ボクは、昨年から適応障害で仕事を休んでいます。

簡単に言うと、一種の鬱です。

認めてほしいけど認めてもらえない。
人の評価が気になって仕方がない。
自分の選択がなく、いつも誰かに依存している。

ついに職場へ行くことができなくなり、精神科へ通います。

今思うと、休みに入った当初の記憶はほぼありません。どうやって1日を過ごしていたか覚えてないです。。。

そんなこんなで数ヶ月が経った頃、とある本に出会います。

西野亮廣との出会い

バカと付き合うな

西野亮廣さんと堀江貴文さんの『バカとつき合うな』です。

「なんだこの人たち。自分の言いたいこと言って!」

とフィクションを読んでいる感覚でした。

しかし、言っていること、1つ1つに理屈があって、納得できることが多い。

人なんて関係ない。

その言葉にウソはなく、実際に自分らしく生きてやがる。


、、、そこからです、この人たちを追いかけるようになったのは。

一通り、2人が書いている本は買いました。(まだ積ん読のものがあります、、、)

バカげていること言ってるけど、この人たちはすごい考えているし(賢い)すごい行動力(経験)。そして何より優しい。。。

たぶん、、、たぶんですけど、、同じ人間で同じ日本人だけど、住んでいる次元が違いすぎると思います。

そう感じて、ビジネス業界で活躍している人(箕輪厚介さん、前田裕二さん、落合陽一さんなどなど)にどんどんハマっていきました。


最終的には、西野亮廣さんにどっぷりとハマるようになりましたが、その理由は生き方にロマンを感じたからです。惚れます。

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鍵垢がターニングポイント

西野亮廣さんにどっぷりハマります。

もちろん、オンラインサロンにも加入しました。

毎日の西野さんの生き方(挑戦・実験・優しさ・行動力)を知れるのが本当に楽しみで楽しみで仕方ありませんでした。

そんな中、サロン内でTwitterの鍵アカウントというものが始まります。

サロンに入っている人どうししかフォローしあわず、そのサロンに入っている人だけと繋がれるSNSです。

そのサービスのおかげで、身近にいるサロンメンバーと交流ができるようになり(しやすくなり)オンライン上の繋がりが、オフラインでも繋がりやすくなりました。(詳しくは1回体験してみてください。。。)


心のどこかでずっと思っていたことがありました。

『ボクも西野さんみたいに挑戦(行動)してみたいっ!!!』

そんな気持ちの最中、鍵アカウント内でこんなツイートを見かけます。

「サロンメンバーどうし、オフラインですれ違ったときに目印になるようなグッズがあればニヤニヤするなぁ、、」

そのツイートを見て、ワクワクしかしなかったです。おもしろそう(*´∀`*)
ほんまにあったらめっちゃいいなぁ。。。

知識も繋がりも0でしたが、西野さんに憧れる思いだけで

「はい、やります!!」

と、グッズ作りの旗を掲げました。。

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やったことはまねごとだけ

旗を掲げたはいいものの、何からやっていけばいいのか全くわからずごにょごにょしていたのを覚えています。

西野さんが
「理念を共有することが一番難しいんだよ」と言えば、

【理念の共有】というわけのわからない8000文字にもなる文章を作ったり、、、(誰が読むねん)

「網を投げるな!ひとりひとり刺していったほうがコスパがいい!」と言えば、

事あるごとに、鍵アカウント内で繋がった人たちひとりひとりにDMを送りつける始末。(本当にごめんなさい)

たぶん、ボクが馬鹿すぎて解釈を間違い過ぎたんでしょう。

「そういうことじゃないっ!!!!」と、どえらいツッコミが飛んできそうです。。。

やったことと言えば、

・高校生デザイナーにデザインをお願いしたこと

・出来たデザインを作製会社にお願いしたこと

この2つだけです。ぶっちゃけると、自分なんにもやってないっす。
「やってくれませんか?」とお願いしまくっただけ。。。ww

それだけなのに、ごにょごにょごにょごにょとかっこつけて遠回りしてばっかりでした。

正直、時間がかかって仕方なかったのですが、全ては自分が西野さんみたいにかっこつけてやりたかっただけだったと思います。

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行動していくうちに、気持ちが変わってきた

今だから言います。

最初は、本当に西野さんのマネがしたかっただけでカッコつけたかっただけだったんです。。

でも、ZOOMでの相談、自分では出来ない画像修正のお願いなど、たくさんの人が関わってくれればくれるほど、「成功させたいっ!」という気持ちが大きくなってきます。


このグッズ作製を通してやりたかったこと(成功の定義)は2つです。

①グッズを買ってくれた人をワクワクさせること

②グッズ販売でできたお金で、子どもたちにプペル映画を支援すること

この2つが明確になってからというものの、「どんなにかっこわるくてもいいから、こんなボクのために動いてくれた人たちのためにも何が何でも成功させてやろう!」という気持ちに変わってきました。

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もう鬱になんてならないと思う

正直な所、グッズ作製を通して、悩んだこともあったし不安になることもありました。それは人を巻き込めば巻き込むほど。。。

でもこのグッズ作製はボクが“自分で選んで行動し始めたこと”です。

誰かに頼まれたわけでもなく、自分がワクワクしたから。西野さんのマネごとが出来てカッコつけられると思ったから“自分で挑戦し始めたこと”です。

動悸はどうであれ、「自分でしよう!」なんて、以前のボクにはなかった選択でした。

認めてほしいけど認めてもらえない。
人の評価が気になって仕方がない。
自分の選択がなく、いつも誰かに依存している。

今考えれば、ぜーんぶ他人のベクトル。

他人のベクトルがどうかなんて自分ではどうしようもないこと。

そんなことを気にして、行動(挑戦)してこなかった人生。


グッズ作りを通して、大切なことを学びました。

自分で選択すること

ボクの人生、他人に選ばせない。ボクがボクの人生を選ぶ。


おそらく、もう鬱になんてならないかなぁと思ってます。(なったらなったかぁ、、とくらいにしか思ってないです。)

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生きていくなら、行動するしかない!

グッズ作りを通して、たくさんの人に迷惑をかけたし、たくさんの人の助けてもらいました。
(ごめんなさいっ!そしてありがとう!!)

「自分がワクワクしたから行動(挑戦)してみたっ!」が形となります。

結果はどうであれ、グッズの売り上げで12名の子どもたちに映画のチケットをお渡し出来ます。

微力ではあるけど人助けしたなぁという感覚です。

偽善です。完全なる偽善です。。(勝手に作って、勝手に売って、勝手にチケットを渡す)

でも、プペル映画を通して、子どもたちが笑顔になってくれるのならそれだけで満足です。(西野さんに、そしてプペルには笑顔にする力があると信じています!)

ボクの鬱で淀んだ心は晴らされました(^^)


グッズ作りを通して、大切なことを学びました。

行動(挑戦)すれば、人助けができるということ(自分も助かる)


今のボクが思う『生きる力』とは『行動力(挑戦)』です。

行動するから、みんながみんなを助け合って生きていけると思います。

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さいごに、、、

「グッズ作製で学んだこと」という名目で、自分記録を書きました。

しょうもない長文を読んでくださってありがとうございます。

ボクは、“西野亮廣”に出会ったことで、自分の人生の歯車が動き始めました。

これからもグッズ作りを通して学んだことを生かし、より多くの偽善行為ができるように、自分で選んで様々な行動(挑戦)をしていきたいと思います。


『へらへら生きる』


ありがとうございました。

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