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プレステ世代でよかった。という話

お題「#プレステの思い出」
小学生時代に初代PSと出会い、33歳の今でもPS4をやり続けている
いちユーザーとして、エピソードを振り返ってみます。

〇第一印象「メモリーカードてどこにあんの?」

プレステと出会った当時の私は小学校高学年。我が家にプレステを
連れてきたのは父親だった。一緒に買ってきたソフトは、鳥山明氏が
キャラクターデザインを手がけた格闘ゲーム『トバルNo.1』と、
RPG『ポポロクロイス物語』だった。

『トバルNo.1』のほうは、ゲーム進行をセーブしなくても遊べた
(隠しキャラクターはいたけど)のに対して、『ポポロクロイス物語』は
冒険を進めるたびにセーブするのが必須なRPGである。
(今買おうとするとプレミアが付いて、えらい値段するのに驚く)

この時の私は、プレステのゲームでセーブデータを残すために必要な
メモリーカードはゲーム内のアイテムと思っていた。
「スーファミはいくらでもセーブできたのに!なんで記録のたびに
消費するアイテムが必要になるの!」と、ゲームの中で街を散策し、
キャラクターに話しかけて探しても一向に見つからない。

説明書をよく読んで「どうやらプレステではリアル世界でお金を使って
メモリーカードを買い、ゲームのセーブデータを残す」というそれまでの
ゲームになかった儀式を行わなければならない、と驚いたのがプレステへの第一印象である。

〇「予約したFFⅧ」をエネルギーに受験する

先述の『トバルNo.1』に体験版が同梱されていた、97年にシリーズ初の
プレステ登場となる『ファイナルファンタジーⅦ』は人生で初めて
予約をした作品だった。2020年にはリメイク版が発売しますね。

当時はデジキューブという会社があり、コンビニでゲームソフトを
予約・購入するようになった頃だった。セブン・イレブンで、
ゲームソフトのタイトルごとにラックへ陳列されている商品カードを
見るのが好きだった。
ネット経由で直接ソフトをダウンロードできる今は、この楽しみは
なくなってしまった。

続いて99年2月には『ファイナルファンタジーⅧ』が発売。ちょうど
その時の私は、中学校受験を控え、合格可否がわかるまで
ゲームで遊ぶことを控えていた。2月2日の受験を終え、母親から
「おめでとう、1日に受けたとこが合格してた」と聞いた時も
合格の事実ではなく「FFに集中できる」ことを喜んでいた。

当時のクラスメイトと顔を合わせれば「エデンというガーディアン・
フォース(戦闘中に召喚できる味方モンスター)がいるらしい」
「敵を食べられるらしい」「アルティミシア城(最後のダンジョン)の
絵の謎解きってどう解くの?」という会話ばかりを繰り返していた。
「パソコンで検索する」こともやろうと思えばできる時代だったが、
いち小学生の手元にパソコンは、まだなかった。探しようがない。
各々の発見をクラスで共有し、わからない部分は友人に家まで
来てもらって解決していただく、という対処法でクリアを目指す、という
今では非効率的にも感じる遊び方が、この時はスタンダードだった。

〇攻略本をボロッボロになるまで回し読む

ネットで攻略サイトを探すことができない子どもを助ける術は、
友人同士のネットワークの他にもう一つある。攻略本だ。

エンターブレイン社『解体真書』、デジキューブ(現在はスクウェア・
エニックス)『アルティマニア』など、当時スタジオベントスタッフという会社が制作編集していた攻略本シリーズに助けられていた。学校にまで
持ち込んで何度も何度も読んでいた記憶がある。

Amazonで本を買うこともできないので、目当ての攻略本を探して本屋を
回る必要がある。たまたまファイナルファンタジーⅦの「解体真書」を
手に入れることができた小学校の私は、表紙のエアリス(キャラクター)の顔がボロッボロになるまで読んだ。他のクラスにいるFFファンにも貸した。
ゲームだけでなく、攻略本までも同級生と交流するツールにしていた。
この本はまだ、実家に大切に残している。

〇「昔はよかった」とは言いたくないけれど

小学校を卒業し、中学2年生になった頃には初代PSの後継機「PS2」が発売された。確か当時は、どこのお店でも取り扱いがなく手に入れるまで半年ほど経っていたはずだ。PS2から一部のゲームソフトで、ネットに繋いだ対戦や共闘ができるようになる。

今や当たり前になったゲームとネット接続。PS3頃のゲームハードから、
初めに電源を点けてからのアカウント設定が必須となった(他社ハードも)。このアカウント情報の入力やシステムアップデートに取られる時間が、私はかなり苦手だ。設定の間に寝てしまい、ソフトを立ち上げるのが
翌日以降になることも多い。「いざ遊ばん!」というモチベーションが
初期設定の段階でどこかへ飛んでいってしまうのだ。

古いタイプのゲーマーである自覚はある。それでも、初期のPSゲームでは
インターネットの恩恵がなかったからこそ、自分の手足を使って店舗に
ゲームを予約しに行ったり、発売日に買って帰るドキドキがあった。
友達と対戦をしたり、学校で情報交換することも同じである。繋がれない
不便さを補おうとするかの様に、ゲームを通じた交流が生まれていた。

今は社会人になってしまったというのもあるけれど、こんな楽しみ方を
好きなだけプレイできる年頃のうちに体験できたのは、本当に貴重であり、
ありがとうを言いたい。生まれる年があと2~3年でも前後していれば、
きっとこれらの体験はなかったからだ。

今でもふと『ゼノギアス』や『サイレントヒル』『ランナバウト』などの
ソフトを思い出してプレステやり直してえ!となれば、手元のソフトを
すぐ立ち上げることができる。メモリーカードも初代から捨てずに保存してある。

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(初代PSのメモリーカード。スクウェアのゲームシールばかりなのは、
当時の「東京ゲームショウ」のブースの配布冊子の特典だったため。
体験版ソフトを配る企業ブースなどもあり友人とよく行った)

最新のPS4もSwitchも現在進行中で遊び、ソーシャルゲームにも
どっぷりハマって、プレイ時間をなるべくカットする効率性重視の攻略や「課金すればよくね?」の発想が当たり前になってしまったけれども、
あのポリゴン粗めの世界のドアをいつでも開ければ、ピュアなゲーマーに
少しだけ戻れる。プレステ世代でよかった。


10年ほど企画・マーケティング関連の会社にいました。 その時の激務で出会った仕事やすごい人々のお陰で今の自分がいるので、本noteでもよりよい仕事や働き方について模索していければと思います。