見出し画像

続・創業初期を支えてくれた伝説の個人タクシー

今から10年以上前の創業3期目。関西の大手優良企業の超大型案件のコンペは熾烈を極めていました。コンペの選考プロセスは3段階。まず一次選考で20社から8社、二次選考で4社まで絞り込まれます。最終的に2社に絞り込んだ時点で調達部門と価格交渉に入り、最終判断が下されます。

一次選考に残った我々のチーム(ベンダー5社の混成チーム)に課せられた最初の大きな課題は、10億を超えた見積金額を7億円台に抑えたプランをつくることでした。「7億円台でなければ選考の俎上に乗せられない」。クライアントのリーダーからの強い要求に応える必要がありました。

プロジェクトリスクを勘案しながら10億円の提案を7億円にするというのは、想像を絶する作業でした。まず最初にやったことは、ベンダー5社の商流を完全縦割りにして商流を一本化した際に必要となるプライムベンダーの体制コストやマージンを削るという荒療治でした。この一手はこの手の大型案件ではまず考えられないやり方です。

商流を分割することでベンダー間の責任分界点が不明瞭となり、商流一本化と比べかなりの品質リスクを伴うためです。

通常であれば、この手段を選択した時点で、候補から落とされるリスクもありましたが、大きく削る手段は他にはなく、クライアントのリーダーと交渉して認めていただきました。商流を分割して大幅な費用削減をした後に着手したのは、各社に目標削減コストを割り当てて、そのノルマを達成してもらうことでした。

連日のようにベンダー各社の役員、部長と粘り強く交渉し、目標金額に到達する目処がやっとつきそうになったその時、クライアントから衝撃の要求が突きつけられました。

その要求とは、あるベンダーの関与度を極力下げてほしいという話と、インフラ構築については自分たちと取引のあるベンダーを使ってほしいという“ベンダー組み換えの要求”でした。二つの要求のうち、後者はまだ良いとしても前者の要求については、そもそもチーム提案ができなくなるリスクがある大きな話でした。

どのように先方の部長と交渉するか・・・悩みに悩みました。ある日の夜、腹をくくってそのことを告げると、その部長はしばしの沈黙の後、チームのためならとその要求を飲んでくれました。このような各社の努力もあり、提案チームは最終の2社まで残りました。最後まで残った相手は巨人ともいうべき強敵でした。

そんなハードな交渉・調整が毎日のように続く中、抜群のホスピタリティーで支えてくれたのが伝説の個人タクシー“三枝タクシー”でした。この頃、三枝タクシーとの出会いから1ヶ月くらいが過ぎていました。

ある夜、乗車した際に「三枝さん、今日はビールの気分じゃないのでコンビニによってもらえますか?」と言ってお茶や缶コーヒーを買って飲んでいると、次に乗車した際に「猪目さん、今日はビールのほかにお茶、缶コーヒー、チューハイ、栄養ドリンクを用意してありますので、お好きなものを飲んでください」と三枝さん。

なんとたった一度のさりげないやり取りを覚えていて、柔軟に対応してくれるのです!
おつまみについても、“二木の菓子”で色々と大量に仕入れて好みに合わせてくれました。

三枝さん曰く、顧客に応じたきめ細やかな対応が出来る様、後部トランクに飲み物用の大きなクーラーボックスとおつまみ用ケースを常備しているそうです。

徹底的な顧客視点でのサービスはまだ続きます。

毎日、深夜1時2時まで残業していると、当然ながらお腹も非常にすいてきます。
当時わたしが住んでいた柏まで帰るルート上には国道6号があり、道沿いには深夜まで営業しているラーメン屋が何店舗かありました。

車窓に映るラーメン屋を眺めながら、「今日はお腹が空いていて、無性にラーメンが食べたい気分なんですよね」とつぶやくと、「猪目さん、寄って行きますか?」と三枝さん。

「え、寄ってくれるんですか??じゃあお願いします!」とその後に何度もお世話になる“ラーメン横綱”に立ち寄ってもらいました。深夜のラーメン屋にリンカーンの個人タクシーから人が降りてお店に入って来る光景に物珍しそうな視線を浴びた記憶があります。

このお店は朝5時まで営業していて、お店がとにかく広くて店内も明るくキレイ。従業員の方も活気があり、今でも夜ふと行きたくなる衝動に駆られます。

この店の“鉄板炒飯セット”が深夜まで働いた自分へのご褒美でした。30分ほどで食事を済ませた後、自宅近くのセブンイレブンに立ち寄ってもらい翌朝の買い物をして帰宅する。
これが一時期は定番となっていました。

おかげさまでコンペの方は提案チームの連日深夜におよぶ頑張りが実り、最終2社による調達部とのハードな交渉を何とか乗り切って勝利することができました。最後の1ヶ月間、クライアントのリーダーとわたしが電話で話した時間は80時間以上に及んだと思います。

今振り返ってもあのハードな3ヶ月を三枝タクシーなしでは体力的に乗り切れなかったでしょう。この後も三枝タクシーや“三枝グループ”には幾度となくピンチを救われ、出会いから10年近くたった今も縁が続いています。

#創業初期を支えてくれた伝説の個人タクシー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?