見出し画像

選択的に愚痴を吐く ~愚痴りたくなる背景~

しかし、愚痴って、愚かで痴(おろ)か、って書く。誰が考えたのだろう?

愚痴、のもったいないところは、過去や他人など、自分では変えられないことにエネルギーを突っ込むことで、機会損失を起こすということだと思う。いうまでもなく、変えられることにエネルギーを注がないのは、もったいなさすぎる。

愚痴を言いたくなる人の背景を勝手に推測してみる。

結論から言うと、根っこの根っこは、
自分は重要な存在でありたい=自分が間違っているなんて思いたくもない、
からの自己正当化、に尽きると思う。

まず、何かしらうまくいっている人は、そもそも愚痴を言う理由がない。

何かうまくいかない(と、本人が解釈した)ときが問題だ。

その時に、自分の『行動』が違ってただけだ、と考える人は、他の行動をやってみようと試みる。行動が違ってただけだから、自分が傷つくわけでもない。

ところが、うまくいかないってことは、自分全体がダメだ、と解釈する人がいる。この人たちは、上に書いた、自己重要感が危うくなってくる。

そして、自分が間違ってるなんて思いたくもない!という強い衝動が、あるアイデアを思いつく。

そうだ!ほかの何かにせいにしてみよう!

そうだ!過去のあの出来事の結果、こんなことが起こったんだ!

つまり、自分がダメだったわけじゃないんだ!

ということを、あの手この手、いろんな表現でアピールしたくなる、というのが愚痴の実態なのだと考える。

愚痴、というのは、つまるところ、

うまくいっていない人が、自分の重要感を自己防衛しようと努力している様、と定義してみることにする。

これからは、愚痴を言っている人を見かけたら観察してほしい。
ああ、自己防衛に必死なんだと。優しくしよう。

一方、愚痴を言ってみると、確かに一時的にスカッとした気持ちになるのは確かである。

なので、僕の周りの主体的な人たちは、

ねえねえ、5分愚痴言っていい?

ここからの話は愚痴になるんだけど、、、

ってな風に、『選択的に』愚痴を言う。

愚痴を言う、って機会は、皆に与えられているのだから、うまく使いこなせるといいなあ、って思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?