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富士葵の2019年と来年とその先のお話

今回は「富士葵」の活動の「終わり」について考えようと思います。
なんでこんな重いテーマを選んだかですが、事前に色んな未来を想像しておくことが大切だと思うからです。
HUNTER×HUNTERにもそういう話ありましたよね。この話の「あらゆる残酷な空想に耐えておけ。現実は突然無慈悲になるものだから」という台詞が大好きです。

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記事のタイトルもかなり悩みました。「富士葵の引退について」とか「Vの引退に備えてオタクがやるべき10のこと」とか、たくさん人を釣れるんだろうなって思うタイトルはいくつかありました。

ただ私は大勢に読んでもらう必要はないと思っているので、できるだけセンセーションにならないように意識して今のタイトルになりました。湿っぽいのは苦手なので、内容もなるべく暗い話にならないようには努力します。

・富士葵の2019年を考える

皆さんにとって今年の葵ちゃんはいかがでしたか?

私は葵ちゃんのおかげで今年もたくさんの楽しい経験ができたと思っています。歌ってみた動画やバラエティ動画を投稿したり、色んな人や企業とコラボをしたり、テレビに出たり、イベントに出たり、バスツアーをやったり、ラジオをやったり、雑誌やインタビューに載ったり、グッズを出したり、アルバムを出したり、生誕祭やソロライブをやったり、と、今年の葵ちゃんの活動をあげていけばキリがありません。

たった1年の間に、葵ちゃんの活動の幅は大きく広がったと思います。きっと2020年も今以上の活躍を見せてくれると期待しています。来年の葵ちゃんの活動を想像するだけで楽しいですよね。

次のアルバムや2ndソロライブはいつだろう?とか、次はどんな面白い動画を作るんだろう?とか、次はどんなコラボをしてくれるんだろう?とか、妄想は尽きません。そして葵ちゃんと魔界の人たちであれば、私の予想を裏切り期待を裏切らない活動をしてくれると思っています。

こんな風に今年を振り返ったり、来年の予想をしているとき、ふと「葵ちゃんはいつまで活動できるんだろう?」という疑問がわいてきました。

・富士葵のゴールを考える

皆さんはVTuber富士葵のゴールはどこだと思いますか?

チャンネル登録者数100万人を達成して富士山の頂上に登ったとき?
それともドームやアリーナでライブをしたとき?
それとも憧れの人や有名人とコラボしたとき?
はたまた有名な映画やドラマに歌が採用されたとき?

たぶんどれもゴールであり、通過点でもあると思います。

きっと芸能活動に「これをやったら終わり」という明確なゴールはなくて、一つ目標を達成したら次の目標が出てくると思います。葵ちゃんのコンセプトの「キミの心の応援団長」ひとつとっても、誰も応援を必要としなくなることはありません。では、葵ちゃんはずっと活動を続けることができるのか?ということを考えると、人の寿命が有限である以上やっぱり答えはNOなんですね。

・富士葵との別れを考える

いつか来る葵ちゃんとの別れを考えたとき、どういう形の別れになるのか?

たぶん最初にアイドルやタレントとの別れの形で連想されるのは「引退」だと思います。例えば葵ちゃんが引退ライブを開催して、歌劇団のみんなに惜しまれながら引退する、という想像ですね。

しかし私の経験上、別れが引退だったケースは意外と少ないです。例えば飽きて興味を失ったり、他の新しい趣味を見つけたり、進学や就職、転職、冠婚葬祭など人生の大きな出来事で環境が変わって追えなくなったり、と理由と時期は様々ですが、アイドルとファンどちら起点でも別れはあり得ます。

ただ、別れそれ自体は悪い事ではありません。そもそも人生は出会いと別れの連続なのですから。だから別れに対して、アイドルもファンも罪悪感を抱く必要はないと私は思っています。

アイドルは「活動の方針が変わったから」とか「みんなの期待に応えられなくてごめんなさい」とか、ファンは「もう推すのに疲れてしまったから」とか「時間(または金)なくて推せなくてごめんなさい」とか。SNSでよく見る言葉ですが、「ごめんなさい」よりも「ありがとう」を増やした方がみんな幸せになれると思います。

そして推しとの別れの時が来たとき、お別れの言葉を本人に伝えられるかどうか?を考えると、これも伝えることは少なかったです。引退まで応援していたなら、SNSや手紙などで別れの言葉を伝えることはありますが、それ以外のタイミングで「ファンをやめます」なんて推し本人に言うことはないです。

趣味嗜好が変わった場合は、新しい趣味に時間が費やされるので、推しに使う時間が減っていき自然消滅することが多かったです。仕事が忙しくなったり、進学や結婚などで環境が変わった場合も同様ですね。

・富士葵の推し方を考える

別れ方は人それぞれとして、別れを前提にしてどう葵ちゃんを推していくのか?

推しは推せるときに推せ」という言葉を最近よく聞きます。素直に受け取ればその通りなのですが、私は天邪鬼なので命令されている気がしてあまり好きではありません。

ここは葵ちゃんの好きな森博嗣先生の著書「つぼねのカトリーヌ The cream of the notes 3」にあった言葉を引用しようと思います。

僕たちにできることは、いかに生き延びるかではなく、いかに生きるか、なのだ。(中略)「死に方を考える」でも良い。あるいは、「素晴らしい死に方のできる生き方を考える」でも良い。

この「素晴らしい死に方のできる生き方を考える」という言葉が私は好きです。推し方について改変するなら「素晴らしい別れ方のできる推し方を考える」という風になるでしょうか。

終わりがあることを意識していれば、今何をしたいか、または何をすべきかをよく考えられると思います。もちろん考えるのは個人個人の話なので、考えた結果に画一的な正解はありません。後悔が残らないようにしよう、とも言いません。どれだけやっても悔いは残ります。

それでも推しを応援できるのは、推しが活動している間だけなのだから、しっかり考えたい、ということです。

・富士葵のその先を考える

いつかやってくる葵ちゃんとの別れ、その後にあなたはどう過ごしますか?

私の昔の話をすると、推しが引退した翌日、私は朝起きて朝食を食べ、会社に行って仕事をしました。自分でも驚くほど日常に変化がなくて、推しがいなくなったなんて嘘では?と思うくらいでした。前の日はあんなに悲しかったのに。悲しくても腹は減るし、働かないと食えないのが現実と思い知りました。それから時間がたつにつれ、推しの曲を聴くことが減り、推しのグッズも少しずつ部屋から片づけていきました。

最初は自分は冷たい人間なのでは?と思いましたが、今は別れの後はたまに思い出して懐かしむくらいで丁度いいんだと思います。「富士葵」が終わった後、葵ちゃんも歌劇団の皆さんも、それぞれの人生が続いていきます。数年後、今も推しがどこかで元気にやっていたら嬉しいなと、ふとした瞬間に思えるのは、結構救われるものですよ。

葵ちゃんがJTBバスツアーで歌ってくれたガーネット。その歌詞の「いつか他の誰かを好きになったとしてもあなたはずっと特別で大切で」という部分が好きです。

推しと別れた後も、やっぱり推しはずっと特別で大切で、推しを忘れないということも立派な推し事なのかな、と思いました。

・最後に

ここまで冷静なふりをして語ってきましたが、やっぱり葵ちゃんの引退を目の当たりにしたら、私も泣いたり惜しんだりするんだろうなって思います。
別れの時に悲しむことは、感情の整理をする上でも必要です。溜め込むと無意識のうちに体調を崩したりするので。

ただ、悲しみに意味を与えすぎない、ということも大切なんだと思います。
どんなに別れが悲しくても、これまでの葵ちゃんとの楽しい思い出は消えません。楽しい思い出を持って、先に進んでいけたら良いなと思います。

そんなことを考えながら「KieRN」を聴いていたら、歌詞がめちゃくちゃ刺さって、また泣いてしまったのでした。

あの日には戻れないの
戻せないの だから今を生きなきゃ
あなたには 触れたいけど
今が消えてしまうから、これでいいの

ここまで読んでいただきありがとうございました。
歌劇団の皆さんが、葵ちゃんと素晴らしい別れ方のできる推し方ができることを祈っています。

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