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ピンキーポップヘップバーンというオタクについて

2021年1月8日、Vtuberのピンキーポップヘップバーンが引退した。

輝夜月の後輩として2018年12月にデビューした彼女は、見た目の豪華さとは裏腹に陰キャオタクで胸が平たいことをよくいじられていた。私は元から動画勢が好きなので、配信全部は追えてないけど動画は全部見ていた。好きなものを早口で語り、推しの前では限界化してしまい、人見知りな彼女は、どこに出しても恥ずかしくないオタクだったと思う。

よく「Vtuberは好きな自分になれる」と言われる。果たしてそうだろうか?少しうがった見方をすれば、好きにできるのは「見た目」だけだ。Vtuber活動をしている人格や性格までは変えられない。Mika Pikazo先生のデザインした可愛い見た目と、同類から見て共感しやすいオタクっぽさのギャップが、彼女の魅力の一つだったのかもしれない。

彼女が引退を事前に告知しなかったのも、引退配信をせず引退動画を投稿したその日に去っていったのも、彼女が生粋のオタクである証明だろう。オタクは苦手なのだ、過剰に心配されたり、送別会で湿っぽい雰囲気になったり、大勢が見守る前で最後の一言を言うのが。

ここ1年くらいにデビューする新人Vtuberはスター性が強い、個人Vも企業Vも。みなトークも歌も上手い。企画力もあり多国語を駆使して絵まで描ける。天が二物を与えすぎたか、それとも強くてニューゲームなのか疑ってしまうレベルだ。また2017年から活動するVtuberたちも、その才能を開花させ大きなステージに立っている。正直闇に生きる私のようなオタクには、そのスター性がまぶしい。もちろんVtuber界隈としては良いことなのだけれど。

今回のピンキーポップヘップバーンの引退を見て、私はVtuberが引退する寂しさとは別の寂しさを同時に感じた。その郷愁にも似た寂しさは、まだオタクだけがひっそりと楽しんでいたV界隈の居心地の良い空気の終わりを感じさせるものだった。

輝かしい才能が無ければ、企業の力が無ければ、コミュ力が無ければ、広い人脈が無ければ、Vtuberとして成功できない。そんな界隈には、なって欲しくない。陰キャでオタクで本来スターになんてなれない人が脚光を浴びられる場所としてのVtuber、という場所も残って欲しいと思う。これってわがままかしら?

ピンキーポップヘップバーンが最後に残した言葉を引用する。

「みんなはこれからも好きなVtuber、好きなアニメ、好きなマンガ、好きな歌、好きな人をどんどん好きって言っていこうね!」

おつかれさまでした。たくさん楽しい時間をありがとうございました。あなたが目指す次の夢への道が、幸多きものでありますように。

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