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【エッセイ】オタク友達の訃報を聞いて思ったことなど

人間長く生きていると友達の訃報を聞くことが1度や2度ではない。そして私はオタクだ。だからいちオタクがオタク友達の訃報を聞いて考えたことをつづっていこうと思う。

訃報を知る経緯

オタク友達の訃報を聞く経緯は大きく分けて3つに大別される。

1.遺族から連絡をもらう。
2.遺族へこちらから連絡して訃報を知る。
3.故人のSNSのフォロワーからの連絡で知る。

1の場合、親族と交流がある前提になるので、通夜やお葬式に参列することもできる。ある日突然、親族の方から連絡が来るので大変驚く。

2の場合、故人のSNSの更新が止まり「何かあったのでは?」と周囲がざわつき始めて、自分から情報を取りに行って初めて状況を知ることができたパターンだ。タイミング次第で納骨の前にお線香をあげに行くこともできるかもしれない。私の場合は故人が自営業者で電話番号を公開していたため連絡が付いた形だが、相手によっては連絡を取る術がなく、訃報を知ることすらできない可能性もある。

3は今の時代ならではだ。このパターンでは直接故人に手を合わせる機会は少ないかもしれない。フォロワーが多い人は、特に3の経験が多いだろう。

1,2,3のどれも今まで経験した。当然だが訃報は突然だ。少し前までSNSで元気そうにしていた人が急逝する。もしかすると2で故人に連絡が付かず、SNSの更新が止まったままフォロワーの間では状況が不明の人も多いのかもしれない。

オタクの形見

オタク友達とリアルで交流があった場合などは、親族から形見分けをお願いされる場合がある。特にオタク趣味を知らないご両親の場合、遺品をどう処理したらいいか分からない場合が多い。

遺品は最終的に処分されるとのことだったので、オタク仲間の間で引き取れるものは引き取って、あとは一点物のグッズなど価値のありそうな物の選別をお手伝いした。引退したVtuberのグッズが形見なんて、二重の意味で遺品だ。

ご両親は子供の趣味の世界を知らないこともあるので、故人がオタク界隈でどんな人だったか生前の話をすると喜ばれたのが印象的だった。ご遺族の知らない故人の思い出を届けられたのは、自己満足だが良かったと思う。

故人の推し

今の時代、オタクには推しがいることが多い。故人の推しの声優やVtuberを見た時、私は故人のことを思い出すのだろう。

その度に「ファンの訃報を推しに伝えるべきか?」という疑問が湧いてくる。故人の意向を知る由もないから答えはない。そもそも非常にセンシティブな話題のため、伝え方は慎重を期す必要があるだろう。配信のスパチャで伝えるなんていうのは論外だ。

私個人としては、自分が死んだら推しには知らせずに、(オタク用語の意味での)他界して他のコンテンツを追っていることにでもしておいて欲しい。
万が一にでも自分の訃報で推しが悲しんで欲しくないし、やはりファンは推しを悲しませるべきではないだろう。

オタクが推しを残して逝くんじゃないよ、まったく。私が向こうに行った日にはオタクのあるべき姿を説教してやる。

オタク、死ぬな

30代40代になってくると、身近な人の訃報が目に付くようになる。私は漫然と平均年齢くらいまで生きるだろうという前提で人生の青写真を描いているが、もしかすると明日突然いなくなるかもしれない。その原因が病気なのか事故なのかもわからない。

ご遺族に挨拶した時、必ずと言っていいほど「お体に気を付けて」と言われる。年を取って気付いたことだが、死は意外と身近にある。年を取って死が近づくというより、ずっと隣に死があったことを、年を取るを自然と知るのだろう。

医者からも「突然死の可能性を減らすために、会社の健康診断を受けるだけでなく、ちゃんと医者にも診てもらえ」と言われた。リア友やフォロワー各位におかれましては、死なず死なせず健康に生きて欲しいと思う所存。

もちろん私も健康に気を付けようと思う。まずは人間ドックの予約を取るところから・・・。

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