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【気づきのシェア】養育者(親)の日常的な育児目標は何だろう?

娘が2歳の誕生日を迎えます。最近の育児に関する気づきを整理してシェアさせてください!

育児をする親にとって当面(日常)の目標は何だろう?次の2点になるのではないか思う。

1つは、 子どもが生理的に安定した状態を保てるようにを支援すること。端的にいえば、睡眠・運動・食事(血糖値)を良いレベルで安定させることだ。生理的な安定が、感情の安定につながっていることが子どもを観察していると納得できる。

うまく眠れなかった日は、機嫌が悪いし、甘いものを与えて急激に血糖値を上げると、その後もダラダラと食べ続けてしまう。幼児はまだ前頭前野が未発達だから、生理的な不安定さは、直接的に感情や行動に現れる。

こうした気づきは、神経科学者のアントニオ・ダマシオさんや、ポリヴェーガル理論で知られるポージェスさんの著書を読んで、生理的な変化が行動に与える影響の強さを理解していたことで得られた。自分が考えている以上に、体内の生理反応(心拍変動や血糖値)は感情や判断に影響しているのだ。考えてみれば、マズローの欲求五段階説も、生理的欲求が、人間の欲求の基盤にあると想定している。

(ちなみに自分もホモ・デウスばりに指輪型ガジェットでバイオフィードバック(安静時心拍数や心拍変動)を得て毎日の健康行動に活かしている。自分の生理状態は意外と自覚しづらい!)

さて、ここが重要なのだが、生理的に安定していて感情が安定していると何がいいのか。答えは単純だが、遊びに集中できる。あるいは、活動が拡散していく。これも心理学の研究が示していて、人間は心理的にポジティブな状態にあると思考や行動が柔軟で拡散的になっていくことが知られている(拡張形成理論)。子どもは機嫌がいい時は、いろんなことに挑戦して、粘り強く取り組み、気づきを得て成長していく。

まとめると、生理的な安定→感情の安定(ポジティブ感情の経験)→思考や行動の拡散→成長・発達の促進ということだ。

2つ目は、 養育者に関する目標で、「待てる状態」を保つこと。育児をしていて難しさを感じるのは、待つべき時に待てないことだ。どうしても「早くして!」と思って、つい口や手を出してしまう。

親(養育者)が待つことが重要なのは、待つことが子どもの発達の機会を保障するからだ。例えば、2歳児であれば、パンツを脱ぐことも時間をかければ一人でできる。食事もできるだけ手を出さずに、しかし片手はお椀を持つように見本を示すと、真似をする。待つことによって、子どもはゆっくりだが、身体の使い方を学び、シナプスの新しい結合を進めていく。

だが、待たなければ(子どもに身体を使わせなければ)いつまでも新しいシナプス結合は生まれない。要するに発達しない。そしてモンテッソーリが強調しているように身体発達は精神発達と密接に結びついている。待つことは、精神発達も促すことになる。

問題は、どうすれば養育者が待てる状態を維持できるのか、ということだ。待てないのは、心にゆとりがないことが原因に他ならない。心にゆとりを作ればいいのだが、それが難しい。いや、本当に難しい!!大きく2つの方略がある。

一つは、手っ取り早い方略で祖父母にできるだけ協力してもらうこと。子どもから離れて自分の時間を確保することが、心のゆとりを確保する上で効果があると思う。残念ながら、人間は育児からは幸福感だけでなくストレスも感じるように進化してきたようだ。種の保存の法則から言えば、子育てからは多くの満足が得られるように進化してもおかしくないのに、理由はよく分からない。

また育児は家事よりも不快感が強いことを示す研究があることを最近知った。そして面白いのは、アメリカ人よりもフランス人の方が育児ストレスが小さいらしい。理由はどうやら、フランスの方が託児施設が充実していて、育児に関わる時間が短いからのようだ(ちょっと切ない)。でも結果的にそれで笑顔で子どもと関われるなら、その方がいいだろう。

僕は最近、進化生物学の「おばあちゃん仮説」を知って、おばあちゃん・おじいちゃんが育児に関わるのは、人類の生存戦略であり、自然なことだと理解するようになった。だから、遠慮なく僕は娘を自分の父母に預けている。そして自分も「じぃじ」になればそうするつもりだ。ということで一つ目の方略は、祖父母に預けて心のゆとりを確保する。

しかし、現代人には困ったことに、近くに頼れる親族がいない、ということも多い。どうすればいいか。これはもう、心の修行しかないと思う。2つ目の方略は、手放す習慣を習得すること。

そもそも、どうしてゆとりがなくなるのかと言えば、それは欲望が心を満たしているからだ。あれもしたい、これもしたいと。子どもは、個人的な欲望と対立してしまう。子どもは、ゆっくり読書することを許してはくれないし、友達と会ってお茶することも不可能にする。こうして子どもは「私から奪っていく者」になってしまう。これでは、「待つ」ことなどできない。親にとっても子どもにとっても不幸なことだ。

そこで、欲望を手放す。不幸(このイライラ!)の原因は、欲望なのだから、と考える。

最近気づいたのだが、人は「与えること」を先に考えることによって、心にゆとりを作ることができる。普通、「人はゆとりがある時に、他者に手を差し伸べられる」と考えるが、実は逆なのでは?つまり、「この人に自分は何を与えられるのだろう」と思考することによって、心にゆとりを取り戻すことができる、と気づいた。だから、欲望を手放す習慣を身につけるためには、「私はこの子に何を与えられるのだろう」と意識するといいのかも知れない。そして何かを与えられたこと、成長に何らかの貢献ができたことを喜ぶ。これは、騙されたと思ってやってみることをお勧めします!

ということで、最近の育児の気づき、「養育者の当面の2つの目標」でした。

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