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【お父さんは学校の先生】#2 エジソン箸、子どもに無用なアンラーンを強いてない?

【お父さんは学校の先生】#2 エジソン箸、子どもに無用なアンラーンを強いてない?

育児用品には、「余計なもの」が少なくない。育児という営みは、人類がずっとやってきた訳で、現代のような育児用品がなくても育児はできる。それでも育児用品が溢れているのは、子どものため、というよりも企業側は「儲かるから」だし、親側は「楽(不安)だから」という資本主義社会の心因に他ならない。

「エジソン箸」は、「余計なもの」の最たる例だと思う。箸を使えるようになるために、あのような補助は要らないはずだ。江戸時代の日本人も、昭和生まれの僕も、エジソン箸なんて無しで正しく箸は使えるようになった。もっと言えば、2歳の子どもでも箸をうまく使えることがある。

しかし、問題はもっと深いところにありそうだ。そこを掘ってみたい。

最近、NHK「おかあさんといっしょ」を見ていて、驚いた。番組のあるコーナー(みもものいただきます)に3歳児の食事の様子を紹介するものがあるのだけど、

第一に、出演する子どもは、たいていエジソン箸を使用している。これが現代の育児のスタンダード用品になっているようにも感じられる。

第二に、しかし、ほとんどの子どもの箸の持ち方は、ひどく間違っている。ここは問題の核心につながるところだが、エジソン箸は、実は箸を正しくもつことにマイナスの影響を与える可能性がある。皮肉なことに、エジソン箸を使うことによって、おかしな癖がつき、正しい箸の使い方が遠のく場合がある。

第三に、そうした問題性を孕んだ育児用品を使った子どもを(勿論、子どもに責任はないよ!)、堂々と出演させている、NHK教育テレビの番組制作スタッフの感度に驚く。子どもの発達に悪影響を及ぼす可能性がある育児用品でも、公共放送が毎回映し出せば、親は「これがスタンダードなのね」となる。メディアの権力は、無意識に人々の心に働きかけるから恐ろしい(それは、放送業界の人間なら十分に理解しているはずなんだけど・・・)。

さて、エジソン箸について、学習心理学的に考察しておこう。学習に関する心理学の理論は、大きく3つあるのだけど、一つは「連合理論」(行動主義)だ。これは、人が何かを学習するという現象を、「刺激」「反応」「報酬」の三要素で説明する立場だ。

箸の習得は、箸という対象からの「刺激」に対して、手先を使って「反応」し、結果的に望ましい結果=「報酬」が得られることで、箸(「刺激」)と手先の使い方(「反応」)が強く連合し、学習が成立する、と考える。

連合理論の立場からすると、学習を促進するポイントは、「報酬」が本人に「強く」「たくさん」知覚されるようにすることになる。そこで、例えば正しい使い方ができた時に親が「褒める」ことが推奨される。もう一つの工夫は、スモールステップの原理だ。これは、課題を小さく区切って、難易度を下げて、本人が達成感(報酬)を感じさせやすくる工夫だ。

エジソン箸の利用は、このスモールステップの原理に該当すると思われる。箸を簡単に使えるようにすることで、子どもが箸を積極的に利用したいと思えるようにしている訳だ(メーカー側もそれを謳っている)。

[https://edisonmama.com/chopsticks/](https://edisonmama.com/chopsticks/)

しかし、ここに落とし穴がある。エジソン箸は、「正しい箸の持ち方」に至るプロセスを正しく分解し、それをサポートしているか怪しい。例えば、箸を正しく使うときは、中指の使い方が難しいが、それをサポートしているとは思えない。結局、子どもは自分勝手な持ち方で、箸を使うことになってしまう。

これでは、助けになるどころか、無用な脱学習(アンラーン)を強いる結果になるのではないか。アンラーンは、一般的に認知的コストがかかると考えられている。脳神経科学的に言えば、「学習」は特定の神経回路の形成を意味するので、それを捨てて別の神経回路を再構築しなければならない。その際、捨てたい古い神経回路が干渉してしまって、スムーズに「正しい箸の持ち方」の神経回路に移行できなくなる可能性がある。

給食の時間に、生徒の箸使いの様子を見ていると、中学生でもおかしな持ち方をしている子が珍しく無い。実際、京都教育大学のある調査によれば、中学生で伝統的な(要するに正しい)持ち方をしている生徒の割合は五人に一人だったらしい。ちょっとビックリだけど、そうかも知れない。

[https://www.kyokyo-u.ac.jp/cee/16-6.pdf](https://www.kyokyo-u.ac.jp/cee/16-6.pdf)

続けて、学習心理学の別の柱、「認知理論」と「社会的学習理論」の立場から、箸の持ち方の学習を考えてみたい。

まず、認知理論から。これは、学習の成立には、「認知」つまり、ものの見方・考え方・感じ方が深く関わっているとする立場。この立場からすれば、箸の持ち方は、自分の手先の感覚(認知)が変化・発達すると、実現することになる。

実際、興味深いことに、娘は箸を持った初期から、割と上手に使いこなしていた。これは、別の遊びを通じて、必要な手先の感覚(認知)を本人が発達させており、それを箸に汎化させた結果と見ることができる。

だから、認知理論からすると、頑張って箸の練習をする必要は必ずしもない。もっと総合的に、遊びなどを通じて、手先の発達をサポートする支援が主眼となる(いや、そもそも、育児は合目的的にやる必要はないけどね。「結果的にうまくいった」でいいのだと思う)。

3つ目に社会的学習理論。これは、学習に与える他者や文化が与える影響を重視する立場だ。例えば、人は何かを習得するとき、他者を観察したり真似したりする側面を重視する。箸の持ち方について言えば、正しく使えるようになるためには、親が手本を示すことが重要となりそうだ。

そして、この立場の代表的人物が、ヴィゴツキー。彼の「発達最近接領域」のモデルはあまりにも有名。これは、「今日は自力でできないけど、明日にならできそうな発達領域」のこと。そこに他者が働きかけることで、発達を促進できると考えられている。

でもこれは逆にいうと、発達の最近接領域から大きく外れたことをやっても、教育効果は見込めないことも意味する。エジソン箸は、子どもの発達水準を無視して、大人都合で早急に箸を持たせることになってしまっていないだろうか。箸を持たせてうまく使えないなら、諦めさせればいいのだ。だって、まだ発達の最近接領域に入っていないのだから。

ということで、学習心理学的に考えてみても、エジソン箸は、子どもの発達にとっては、無用に感じられる。必要としているのは、儲けたいメーカーと、安心したい親か。育児にそんなお金、かけなくてもいいんじゃないの?

子どもにちゃんとやらせたい、早く成長してほしい。この思考は大人の悪い癖のように感じる。急ごうとすると遅くなる。この矛盾的な命題は、あながち間違っていないと思う。

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