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【お父さんは学校の先生】#1 夜のおむつ外し

【お父さんは学校の先生】#1 夜のおむつ外し

これまでの育児に関する投稿はたくさんしてきたけど、最近、記事の内容が多様化してきて、分類整りするために、【お父さんは学校の先生】と題してシリーズにすることにした。

ちなみに、僕が記事を書くのは半分は誰かと分かち合えたらいいなという思いだけど、もう半分は趣味だ。「書くのは趣味」と言えば、芥川賞を受賞した井戸川射子さんの言葉を思い出す。彼女は僕と同じ1987年生まれで学校教師。それだけで親近感を持つけど、さらに自身の育児経験が『この世の喜びよ』のベースになっているよう。

NHKラジオのインタビューで「大変な育児の中でどうやって執筆する時間を確保しているんですか?」との問いに、井戸川さんは「私にとって読書と書くことは、趣味なんです」と応えていた。育児は、実にしんどい。その中でも「できる」ことを示したいのではなく、趣味だから書く、と。

あー、これも僕と同じだな。書くことは、絶え間なく知覚される混沌を消化する大切な時間。

さて、タイトルの【お父さんは学校の先生】は、池谷裕二さんの『パパは脳研究者』(クレヨンハウス)をもじったもの。僕は「パパ・ママ」という呼称が好きじゃないから(だって、日本語にお父さんという言葉があるじゃない)、パパは「お父さん」に変えた。僕は脳神経科学の視点も大事にしてるけど、やはり教育者目線でこれまで娘に向き合ってきた。教育者には教育者独特の視点がある。それを描きたい。

特別な意味はなく#1となった記事は「夜のおむつ外し」。日本の男性で、子どものおむつ外しに関わった人間は3%いるかどうかじゃないかな。僕は貴重な経験をさせてもらっている。

2月1日から夜の紙おむつ外しを再開して20日が流れた。再開というのは、8月に一度外れて以降、12月からの病気入院をきっかけに紙おむつに頼ってしまっていたから。

2ヶ月、紙おむつをつけたツケは、今しっかり払わされている。なかなか元に戻らず、どうしても朝までもたない。入眠からだいたい90〜120分で排尿するのだが、本人、目覚めて教えることごできない。

毎晩、0時前後に起きて対応する。この時間は、僕もノンレム睡眠に入っていて、起きるのがしんどい。子どもの出すシグナルに気付けず、まだまだパジャマ・パンツと布団を濡らしてしまうことが多い。

それでも20日間も奮闘を続けると、変化がある。

昨夜は、0時頃、布団の中でモゾモゾと動き出し、不機嫌そうに「お父さん、おしっこしたい」と教えてくれた。「みーちゃん、教えてくれてありがとう!」飛び起きてオマルでしゃーっ。

これまでの疲労感が一気に吹き飛ぶ感じがする。ただ、一番伝えたい感覚は、「私の苦労」ではなく、このおむつ外しの日々が、「私たちの協力」ということ。

寝る前に、「みーちゃん、寝ている時におしっこいきたくなったら、教えてね!一緒に頑張ろう!」と伝えると「おとうさん、おかあさん、オシッコだよーっていうよお」と返す。朝、起きたら、「教えてくれてありがとう」「今日は出ちゃったから、今夜また頑張ろうね」と会話する。

濡れたシーツ、パジャマを洗う親の姿を見て、本人が風呂場で自分のパジャマの後始末をするようにもなった。育児の本質は、「私」と「あなた」の境界がどんどん薄まって、一体化していくことのように思える。あるいは、「支える」「支えられる」の関係性が曖昧になっていくような。

ともかく、夜のおむつ外しは、確かにしんどいのだけど、ともに喜ぶ貴重な機会にもなっている。

最後に。平野啓一郎さんの小説「ある男」に、主人公の元夫による「早期教育」の賜物として、子どもの紙おむつが2歳で外れたという話が出てくる。

これはちょっと誤解を招くかも知れない。おむつなし育児をすれば2歳でおむつは外れるが、それは決して早期教育ではない。その本質は、親子の密度の高いコミュニケーションにある。実は、おむつが外れることが目的ではないのだ。

むしろ、紙おむつをつけることは「遅延教育」なのかも知れない。江戸時代の親達が、3歳を超えておむつをつけた現代の子供を見たら、驚くに違いないから。

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