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転機のまとめ 前編

2020年は、36歳の年男の私にとって色んな転機があった年になった。

世間一般から見たら36歳というのは若造の部類であって、まだまだ蒙古斑がある赤子のように見えている。

しかし、仕事人生においては、終身雇用が終了し、テックの発展と共にVUCA時代に突入した今、36歳というのは決して若くない年齢と思っている。

むしろチャレンジするにはギリギリの年齢と言えるかもしれません。。

●前職で

前職では、HRの大手に勤め管理職までやらせてもらった。世の中一般の平均年収が350万円のところ倍近くはもらっていたし、大手から零細まで多くの成長企業の経営者や人事担当に会うことも出来た。

※組織の立ち上げ時に高尾山を登った

これだけ見るといっぱい貰ってるなとか羨ましいなとか思われるけれども、その分「プライベート」は一定数犠牲にしてきている。

今、ここで仕事に費やす時間は、未来への投資という整理をしていた。(と、言っても3年過ぎた頃からあまり苦痛には感じなくなっていたが。)

前職のビジョンには強く共感していたし、仲間も好きだったし、なにより世の中を回す歯車の一つになれている実感が強くあった。そして、頭が良い人も多く、盗めるものがゴロゴロあるのでスキルがグングン身に付いている実感もあった。

※最後の担当組織、少数精鋭だった

逆に、優秀な部下や後輩もたくさんいて、うかうかしていたら抜かれる危機感も感じることが出来た。在籍年数が長くなると、役職がつくと、ともすると天狗になってしまうことがあり成長が鈍化することがある。そんなことを考える暇が無いくらい優秀な人が次から次に出てきていた。

自分にとっては、この危機感こそが今年の転機の源泉になったのだと思う。

※一番優れている組織として表彰されたこともあった

●転機

そんな中、去年からいくつかきっかけがあった。
1.親父が体調を崩す
2.辞めた先輩が幸せそうに生きている
3.後を託せる優秀な部下が現れる
4.専門学校に通う
5.飽きた

2016年度から2018年度まで3年間大阪勤務をしていたが、そのとき世話になった上司のもとを離れて2019年度から東京へ戻ってくることになる。

大阪時代の上司は同級生だったが、能力も人間性も桁違いで届きそうで届かない位置にいた。とんでもなく世話になり、この方に上司のあるべき像を作ってもらった。

この方がいなかったら正直今は無いと思う。
私のことをよく見てくれて、指導してくれた。涙を流しながら向き合ってくれたこともあった。会社組織で人生に向き合ってくれる人がいることは相当稀。

話を戻して、、、

●転機①

親父の体調が悪化し、入院をした。精神的にも肉体的にも経済的にも負担をかけ続けてきた親父には頭があがらないが、その親父が倒れた。

大事に至らないが、心臓病に糖尿病を併発し、満身創痍でも安月給で働き続けていた。

親父は元々ワックスのリンレイに勤めていたが、母方の祖父に声をかけられ、祖父が経営する魚の仲卸会社に転職する。祖父の会社は家族経営だったが、それなりに売れていた。祖父は漁連会長まで務め、あのヒットした歌「お魚天国」を世に出した人だ。

祖父が亡くなって以降、大手小売が仲卸に参入してくるなどして、売上は右肩下がり。営利は2%まで落ち込む超薄利企業になっていた。

役員になっていた親父も手取り月給は19万円。それでも働き続けていた。

このビジネス構造自体を変えないと変わらないと思った。

●転機②

この家業を何とかしないとなと悩んでいたときに、辞めた先輩社員と飯を食う機会があった。もともと求心力のある凄い人だったが、幸せそうにしていた。自分で会社を経営し、紆余曲折あったが幸せだと話していた。

何を話したか細かくは覚えていないが、「やりたいことやれてるか、好きなことやれてるかではなく、お前は幸せか?」というようなスピリチュアルな話をした。これは結構刺さった。

自分にとって幸せとは何かを考えるようになった。

●転機③

前にも書いたが、入社5年目?の優秀な部下が現れる。詳細は割愛するが、こいつは一年鍛えたらすぐ自分を抜いていくと確信していた。

部下は複数いたが、意識的にこいつに時間を使い、とにかく持っているものを言語化し、公式化し、殆ど全て伝えた。

朝礼前にワークの時間を取り、商談の道中は色んな会話をし、確かこいつの誕生日も二人で過ごした。周りからは明らかにえこひいきしているように見えただろう。えこひいきに構ってくれないと文句を言う女性部下とそれをかばう上司もいたが、意図を説明して(理解はされなかったが)、選択と集中した。

こいつの成長ぶりは目を見張るものがあり、半年である程度形になった。あとは実戦経験を積むだけ。

後任の心配がなくなった。

●転機④

管理職と言えど、自身の組織のPLはわからない。売上高は分かるが、出ていっているものが見えない。そんな中でも率をあげろという指示が下りてきて、手段が思いつかず、手法を求めてTACに通いだす。

ここでは税制の基本やPL管理の方法を学んだ。

が、率をあげるというのは、粗利率をあげる、もしくは営利をあげるという意図なんだろうけど、一介の組織長では販管費も節税対策も出来ないことも知った。

上はそれを分かっていたのか分かっていなかったのか、現場に期待していたのかしていなかったのか、TACで学んだことをもとに何度も進言をしたが、通らなかった。率も額もあげろという指示だけだった。

自分が、名ばかり管理職であることに気付いた瞬間だった。

●転機⑤

飽きた。

担当領域での組織作りや、新しい売上の作り方は一通りやらせてもらい、成功も失敗も経験させてもらった。

ブランド認知度と商品クオリティで売れていることも理解出来ていた。

この先はどうなるかわからなかったが、漠然と強烈な不安感にかられた。

①~⑤が、おおよそ一年の間にやってきて、「転機が来ている」と考えた。

後編に続く、、、

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