あるサクラナイツの元ファンは、なぜ数時間後にはサクラナイツファンに戻っていたか
よくよく考えてみればなにかのチームのファンになるのは、1990年代後半の阪神タイガース以来な気がします。あの時は、毎日の試合後に「もうこんなチームのファンやめる!」って言っていました。そして、次の日には「ここから何連勝したら優勝できるかな」とか考えていた記憶があります。
というわけで、実際には前述のnoteを書いた次の日には、森井監督のスペースで「元サクラナイツファンのみやもとと申します」とか言っていた気もいたします。
その日のスペースで、申し訳なかったことは、「あの記事で悲しくなった」とおっしゃったサクラナイツファンに対して、あの記事に対してコメントを下さった平澤さんに対してのものでした。森井監督、平澤さん、ファンのみなさんにこの場をお借りして改めてお詫びいたします。ごめんなさい。
まず何が良くなかったか。
森井監督と平澤さんのスペースで話された内容を冒頭に書いたことはよくありませんでした。また、「好き」「嫌い」と「良い」「悪い」の話は全然別物であると区別して書くべきでした。もっと言えば、追検証可能ではないスペースの話を書くのも問題でした。(今も繰り返していますが、ご容赦ください)
平澤さんにコメントでご反応を頂いて、それについて自分の考えを整理して反応していく中で、様々なボタンの掛け違いについて発見できたことは幸いなことでした。
次に何がよくなかったか。
ファンをやめるというのは文章で言うべきではありませんでした。そう書くと悲しくなるような感情が先にくると思います。よくありませんでした。
ひとまずその2点についてごめんなさい。
3点目があるとすると、この「ごめんなさい」が遅れに遅れていることですけれども。実際には、
だったので、もっとはやくできたやろという感じもいたしました。
このあたりとか、色々いただいたコメントとかはですね、2022年10月ころに「あるサクラナイツファンはどのように2022シーズンを楽しんだか」というnote記事がでる頃を目指して何か反応したいと思います。
ところで、私、自分の文章のどこで一度でも「打牌批判」(批評)って言ってたんでしょうかね……いや、そうお読みになられたのなら申し訳ないのですけれども、「批判とは何か」(おそらくCriticism)を語ることは、カロリーが高すぎる気もいたします。正直、プラトンまで遡って「批判とは何か」という話から始まりそうな気がいたします。というより一番最初にぱっこーんと頂いた良いコメントがあって、それで良い機会と思ってEthics of Criticismを読み始めた所で(特に2章の
Ethics and criticism are inseparable. At its best, literary criticism is always ethical, and the best form of ethics is relentlessly critical.
.のあたりは膝を打つほど面白かったのです)年末のお仕事の時間が来てしまいました。というわけでまた来年。
最後に(それは無理と思いつつも)「サクラナイツファンクラブ継続特典、新規入会した私はもらえるのかどうか」を楽しみに、3ヶ月後を待ちたいと思います。
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