見出し画像

なぜ2020年にNiziUが大ブームになったのか

今年なぜNiziUがこんなに大ブームになって、NiziUを好きになった人たちはNiziUのことをただの好きなアイドルということでなく、生きがいとか生きる力を与えるほどの存在になったのかを2つの視点で考察する。

※以下はNizi Projectを繰り返し見ていることを前提とした考察になっています。

海外ドラマと同じ構造

1つ目は海外ドラマと同じような手法で作られているということ。

Nizi Projectはシーズンもののドラマやリアリティショーの構造と同じ様になっているので、ドラマ好き、特に海外のドラマ好きは間違いなくハマってしまう様になっている。

Nizi Projectは「この番組はフィクションで実際の(略)」の注釈はないのでフィクションではない。そんな注釈がなくてもグローバルガールズグループを作るオーディションは実際に行われたものだし、1万人がエキストラなんかではなく本当にアイドルを目指して応募していることもわかっているし、彼女たちが本気で努力し成長した結果を表現していることもわかっている。

最近のリアリティショーで人気なバチェラー、バチェロレッテ、テラスハウスにおいて120%ドキュメントで演出一切なしのただの男女の生活を撮ったものと思っている人はいないだろう。かとって出演者の感情がすべて台本通りかというとそうではなく誰が誰を好きになるとか、セリフの一言一句が決められているわけでもない。その基準とか線引は難しいけど間違った方向でやりすぎてしまったのがテラスハウスだろうし、台本にない出演者の感情によって番組は作られていることを見事に感じさせたたのがバチェロレッテの萌子さんだろう。

Nizi Projectもおそらくリアリティショーのくくりではあるが、どこまでが演出でどこまでが彼女たちやJ.Y.Parkの言葉や感情であるかは気にする必要はない。韓国の番組作りは十分優れているから嘘っぽいとか過剰演出を感じさせないように作ることはできているし、Nizi Project全20話を繰り返し見ても、参加者の言動においてやらせっぽいなと感じるところはない。編集で「テレッ」とか「かわいい♡」とか過剰な編集はあるけど。
何度見てもどこまでも彼女たちの一生懸命な努力と成長の結果、あのパフォーマンスなんだと感じるし、彼女たちの仲の良さや仲間思いの涙がとても演出であるようには思えない。
誰かのパフォーマンスで驚嘆する顔のインサートとかは必ずしもそのタイミングのパフォーマンスでの顔でない可能性はあるけど、それは編集の一部なので全体の出来にはあまり影響がない。自分の含めファンが確証バイアスで見ている可能性もゼロではないけど。

また登場人物が多くシーズンが長いドラマは、今週はこの人の回、次はこの人の回、とそれぞれの登場人物がフューチャーされる。過去の回想シーンを説明したあとに物語時間に戻って、その過去のトラウマや事象が今起きている問題にこんな影響を与えてしまいました、みたいな。
Nizi Projectのパート2の10話では13人いるので毎回誰が主人公になっていて、まずパフォーマンス前の舞台での挨拶があって、1ヶ月の練習シーンでこの子はこんなことがうまく行かなかったけど努力しました、さてメインのパフォーマンスです、うまくいかなかったところを見てください、結果J.Y.Parkが「○○さんが一番キレイでした」と褒めてくれる。という、おおまかにいうとこのような展開になっていることが多い。

通常のドラマだとその回の主人公になった人物は結局死ぬとか悪役になるとか何らかの大きな変化があることが多いが、Nizi Projectは世界で活躍するアイドルを目指すことを目的にやっているわけだから、誰かを悪者にしたり嫌われるような編集にする必要性はない。できるだけポジティブなイメージで終えるようにしている。
だから時間を戻すがパート1では26人中14人が次の韓国合宿のパーツ2に進んだが、先に進めなかった人物はもともとパート1全体を通してあまり写っていない。どうしても合格した人物に比べてネガティブに写ってしまうから。
だからこそ、パート1の最後のショーケースで一気にキューブを3つ獲得したMAYUKAに人気が出るし好かれることになる。


登場人物が多いドラマやリアリティショーでは必ず悪役がいる。自ら望んで番組全体で嫌われ役になりたがる人はそうはいないだろうから、どうしてもその部分は演出が入ってしまいがちだろう。繰り返すがそれを見事に失敗したのがテラスハウスであり、自殺者数が多い韓国では絶対にそのようなネガティブな表現は避けたかったはずなので、編集全体でそのようにならない編集は非常に心がけたと思われる。なので見ている方も誰も嫌いにならずに、自分ができなかったという悲しみや悔しさ以外ではネガティブな感情にならない。そのため箱推しになりやすい。

また人気のドラマが終わると「〇〇ロス」が発生するが、NiziUはデビューメッバーが決定で終わりではなくこれからが始まりであり、Huluで引途切れずにNiziUの新しいコンテンツを配信していて、本当にうまくできている。
そのように全体の展開とポジティブな編集のおかげで毎回見終わったあとはカタルシス効果で気持ちよくなるし、Nizi Projectを好きになる。
そんな構造なのに人気でない訳あろうか。


2020年の報われなさからの救いだからこそ

2つ目の考察について
2020年は世界中に不条理が起きた。どうしようもないこと。
一方でコントロールできることは自分のことである。本来は自分の努力は自分が行ってきたことは必ず報われるべきことのはずであるが、運や環境によって理不尽にないことにされてしまうこともある。
起きたことは仕方ない、What Happnend,Happnen.としたいけど人はそうかんたんに受け入れられない。
が、J.Y.Pは「真実、誠実、謙虚」の3つを所属タレントに必ず説いて、それを実践するように課す。
人の努力が正しく評価され報われる世界、正しいことを正しいと言って評価される世界、人を妬まずに褒め正しく評価する世界。
2020年のこのどうしようもない世界に対して、Nizi Projectだけは誠実に番組を作ってくれて、彼女たちも誠実に謙虚に努力し成長した姿を表現してくれた。ネガティブな言葉が溢れた2020年においてNizi Projectでは誰かの悪口は一切ない。できなかった人に対してもただこのプロジェクトの求める人でなかっただけであなたが特別であることと関係ない、と人を貶める言葉でが閉めない。
前項でも言った用意にリアリティショーだから、もしかしたらそうでない部分もあるのかもしれない。でも韓国合宿では宿舎の寝室にまでカメラがあり、おそらく殆どの時間撮影しているから「真実、誠実、謙虚」に見せてくれる編集はできるし、常に回っていれば彼女たちも生活をそのように表現するようになっていくのではないか。
何よりもなによりもデビューするための必要なキューブ4つの内一つが「人柄」なので、それを身に付けられない、表現できないのであればデビューはできない。であれば、それもダンスや歌と同じく努力し成長させるしかない。

先述の通りちゃんと努力し成長した人が評価されデビューメンバーに選ばれた。
今まで努力したけど報われなかった、私は努力してきた、誠実であった、真実を求めたり正義感が強かったり正しく評価されるべきだ、という思いが強い人ほどNizi Projectにハマるのではないか。
だからこそ、僕も含め、自分がこうであるべきだと思う世界が描かれ、理想の結果を体現した彼女たちに強い憧れや辛かった2020年の状況からの救いを感じて、生きがいとなったり明日を生きる力をもらい2020年はNiziUの年だと感じているのではないか。自分を攻撃する人物がおらず、常に仲間から応援され支えられ努力する世界。

Nizi Projectをちゃんと見ればゴリ押しとか嫌韓とか本当にトンチンカンでただの認知バイアス、確証バイアスでしかないから、そんなことをつぶやく人たちを見て可愛そうだなぁとか残念だなぁと思って、色々考えた結果こんな文章を書いてみた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?