アートから学ぶ
すごく練習してきた感じが擦り切れた表面の質感や靴紐の型崩れから感じる。
スポーツ、例えばサッカーの上手い下手は別として、使用したものから伝わる歴史、伝えてくる情報は、その使っている本人よりも雄弁に語ることがある。
努力したことによって、どのような成長を勝ち取ったかは分からない。しかし、時間というものは、確実にいろいろなものをすり減らして過ぎていくもの。
通常は使う人が視点とされやすいが、あえて使われた物に視点を変えることによって、自分は何かを達成するために道具を使用するとき、そのものを確実に擦り減らしているという事実に気づく。
人間関係に置き換えても、目的の達成のために人と協力するのであれば、少なからず他者はすり減らされている。
他者を見ると、自分の行ってきたことの情報がたくさん詰まっているのではないだろうか?
その示唆から、自分を省みる時間を現代人は持つべきなのではないだろうか?
それは手入れという形かもしれないし、道具を増やして負荷を分散することかもしれない。
何か対策すべきことに気づかされることが多くあるのではないだろうか?
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