学校創っちゃった物語⑤-漱石の「坊っちゃん」も出た東京理科大

国が成り立つ時というのは、学問では政治や経済さらには法律というジャンルが役に立つ。これは、独立したばかりの海外の国々を見ても明らかだ。勢い、明治時代の日本でも、そのテの学校が乱立した。

が、そんななかで帝大で理系の学問を修めた新進気鋭の若き学士らが決起した。国を栄えさすのに理学の力も結集させようと。で、彼らが努力奮闘の末に創ったのが現在の東京理科大である。創立は1881年。西南戦争が人々の記憶にまだ新しい頃だ。

理科大と言えば、歴史好き文系のこちらとしては、どうしても東京物理学校を連想する。開学当初はしばらくは夜間部のみの学校であったが、その教育レベルは高く。評判となり、国からも教員検定試験への特別待遇など様々な特典が与えられた。特徴としては、入るのに易く、出るのが難関なところ。まるで米国の大学なみだ。

この物理学校は、夏目漱石の坊っちゃんの主人公が出ていることが知られている。実際に、作品を読むと、学校の近くを通りかかった主人公が無鉄砲さと短気さで、その場で入学手続きをしてしまう。そう、これは事実だったのだが入るのは無試験だったのだ。だが、出るのは難関だったのも事実だ。実際に、ある研究者が調べたところ、入学者に対してのストレートの卒業率は数%だったという。

ところが、坊っちゃんはスムーズに規定の年数で卒業し、学校長推薦で教師の口を世話して貰っている。数学教師になったので数学科出身だと思われるが。彼は数学の天才だったのかもしれない。突飛な行動も天才ゆえの実験的精神と考えれば納得がいく。。秋山仁先生も真っ青だ。

まぁ、それはともかくとして。この入るに易く出るに難し、の特徴以外では、というより。その特徴故に、同校は帝大受験のための予備校的な使われ方もした。何せ教育レベルは高いのだ。入るのは無試験だし。

いずれにしても、その後も波乱万丈の時間を過ごし、今の隆盛を築いた。ここの場合は、歴史をきっちりと踏襲している。特に注目すべきは、夜間部に社会人枠を設け、しかも入学は書類審査のみのところだ。まさに物理学校以来の伝統だし、場合によっては今後の高齢社会の学び直しの良い場になる。素晴らしいと思う。

もっとも、帝大の予備校になった歴史か。東大受験生の滑り止めとしても定番のようだ。が、これは悪いことではない。理科大にとっては開成や灘などの優秀な受験生を集めるチャンスでもあるからだ。

これからも発展を期待したい❗






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