学校創っちゃった物語⑫ー漱石も見てた郁文館高校は夢の学園を志向する。

 英文学者であった夏目漱石を一躍、流行作家の地位にまで押し上げた作品と言えば『吾輩は猫である』だろう。

その中で、主人公の英語教師の家に野球のボールを飛ばし、怒りを買ったのが落雲館中学の生徒らであった。この話には元ネタがある。今の根津神社近く。日本医科大学のあるあたりにあったのが夏目漱石が住む借家。そこに近隣の旧制中学から野球のボールが飛び込んで、漱石先生の怒りを買っていた。

この中学こそ、今の郁文館高校である。1889年に漢学者であり、後に衆議院議員も務めた棚橋一郎によって創設された。自身が講師を務めていた哲学館の移転に伴い同地で開校した。この哲学館とは後の東洋大学。なお、このときに哲学館の同僚教師だったのが、あの柔道の嘉納治五郎だ。

その後、伝統校として堅調に歴史を刻み、中学高校の6年制体制になった。が、最大のポイントはワタミの渡邉美樹氏が理事長に就任したことだろう。これにより経営力が強化された。甲子園出場を目指し、有名な野球選手を野球部監督にした。

なにか、今後も面白い展開がありそうだ。

漱石を怒らせたホームランを様々な面からかっ飛ばして欲しいものだ。さらに言えば、すぐ近くにある東大への二桁の合格者か。受験でもホームラン行けるか。

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