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敬老の日に想う

昨日は『敬老の日』の祭日でした。

孫娘の文化祭イベントで、ダンスパフォーマンスを観れる幸せは、自分も「老」の世代となったのかも❗️と思いつつも、どうも『老いる』の感覚がまだ実感を伴わない69歳のジレンマ。

「敬老」の対象となる年齢は、何歳からかは定かではありませんが、私の感覚では80歳を超える人生寿命の第四コーナーを回り始める頃,言い換えれば、人生100年時代での終活20年の時期を、潔く楽しく、そしてわくわくと生きている「ベテラン人生人」への敬いを『敬老の日』に祝う感覚。

人間は、生き物である以上、誰もが加齢とともに「心身の老い」を受け止めてゆかねばならない運命にあります。
「命」は「運」でもありますが、いかに『運気』を充実させて、わくわく人生旅立ちを迎えられるかは、「意気」の持ち方次第です。

高齢者が、長年、命を繋ぎ生きてきたこと自体が敬いの対象となる社会は『幸福な社会』ではないでしょうか。

生きる事、生きてゆく事は簡単ではありませんが、私は80年、90年そして100年もの時間を生きてきた証と存在を,次世代に示せる事自体が「価値」であり、『敬いの対象』となるものと感じています。

私自身元気であれば、来年には70歳の古希を迎えますが、人生100年時代、まだ30年の時間が残されています。(いつまで元気にいられるかは運次第!)

70歳にして「夢」を持ちたくHappy Planet Earth Project を立ち上げました。
まだまだ夢を糧に「バク」的わくわく人生を楽しんでゆこうと思った『敬老の日』でした。

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